光明寺設計物語【2017.02.18】現地調査。

光明寺はお寺建設の事業を期にして、
代替わりとなるとお聞きした。
今後を担う現・若住職が主となり取組む。
現・住職は隠居となる。
今あるお寺は樺太で始まるお寺を、
引き上げこの地に築いた先代となる、
開基住職による。

謂れを聞けば様々な物語が潜んでいる。
知ればどれもが切実でもあり、無視は
出来ないし、何とか汲み取りたい。
しかし、現実の敷地と予算の壁は大きく、
超えさせないぞ!とばかりに強力だった。


一級建築士の製図試験の解答のような
計画は有意義、規模を策定し理解するには
欠かせないものの、求める像ではなく、
解決を導くにはやはり、良く知る必要がある。

ということで、この日は現地調査に至る。
先ずは若住職のご自宅に伺い、今の生活を
出来るだけ日常のままの現実を見せて頂いた。

住宅の設計では必ず行う調査。
設計者の私に格好をつけても無意味だ。
飾った様では日常は窮屈になってしまう。
実情を正しく把握するに努めたい。

最も、知れば問題が増えるだけで、解決を
程遠くする行為でもあり、悩ましくはある。
がしかし、知らなければ解答を得られず。

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終日に及んだ現地調査、最後はお寺の本堂にて。
内陣に立ち入り、初めて御本尊の御尊顔を拝む。

普通は内陣には出入り出来ない。設計者の自覚を
すれば、当然の如くずけずけと入り歩き回り、
カメラも構えられる。全てを垣間見る覚悟がある。
知らなければ考える事は出来ない。知れば考え
なければならず困難になるものの、何とかと。

その横顔は空殿に陰るものの穏やかで優しく見えた。
つい、対峙してしまう。御本尊の次の在る間を
考えるのだから、恐怖を覚える瞬間でもあるのに、
眺め会えた事は救いでもあったのかもしれない。

ただまぁ、この時は覚悟して受けていた居たものの、
流石に問題は底が見えないなーと感じていた。
どこまで掘り下げ、それを解に導けるのか、
考えも及ばずの、設計における最大の難関に出会う。

合理性を理由に計画を進めてしまうのは楽な事。
ハウスメーカーの住宅なら数あるプランを試し
とりあえずを探して済ませてしまうだろうか。

最も相応しい様を求めるのは罪な程に難題だ。
御尊顔にそこに挑めと諭されるように感じたのは、
確かに問題を自分のものとして実感していたから。



先の計画案を持ち込み、逐一確認作業を進めた。
未だ何も具体的ではなく、要望は微かでもあり、
具体的にして行かなければならない事も実感した。

解くためには、現状を更に良く理解する必要があると
思い知ったのかも。庫裡を住宅と考えるなら、
その部位のみなら思考は出来るものの、お寺だ。
所要室は理解が出来ているものの、正解はない。
一つ一つお寺毎に要望がある。それを理解する
必要を感じていて、お寺において最大の法要となる
報恩講を知らずしては解を得られないと思われた。
11月の報恩講までの間、様々な事業に立ち会おうと
この時に決めたのだと思う。
知らないと何も言えない。知っても言えないかも
しれないけれど、考える事は出来る。考える事が
出来ないと提案も出来ず、要望聞くだけになって
しまう。それではバランスを整えられない。

絶望的な状況を知る機会が増えてしまうのだけれど、
それでも現地を訪ね見て眺め思索する事は楽しい。
問題は大きな程に良いものだ。どう仕留めるか、
解を求めるか、諦めずに寧ろ見返したい。よって、
逆転を試みるには観察するしか先ずは無い。
とても地道な作業を覚悟した。
と言うのが設計開始時最初の音更訪問であった。