携わるお寺、その宗派でのお寺の設えは理解できる。
がしかし、どう使われているのかはわからない。
住宅に例えるなら、リビングやキッチン、寝室など
諸室は基本的に同じではあるけれど、各々に違う。
これが檀家様、門徒様方々があってこれまでがあり、
その中でこのお寺らしい仕組みがあるはずだった。
これを理解出来なければ、合理性も勝手も導けない。
聞き取りで理解出来る部分と出来ない事がある。
クライアントの言葉を建築の言葉に置き換えるには、
言葉を実際に確かめる必要がある。
私の使う建築の言葉が正しく伝わる事はない。
勉強し、経験し、実践して得た言葉は、等しく
訓練した人となら補足すれば共有は可能だろう。
例えば、「広い」「明るい」「居心地」などは、
売り文句では常套ではあるけれど、漠然として
実は何も言い当てず、その響きのみが一人歩く。
設計の当初は聞き役、そして実態の把握に努める。
と言うことで、お彼岸という先ずは最初の機会、
二日に渡ってお寺に滞在する事に決めた。
きっと、迷惑だったに違いない。忙しいのに、
余計な人が、ただ、居るのだから。
ただ、そこは全く遠慮せずにズケズケと全てを
見せて頂く。隠されたり、格好つけられては困る。
ひたすら、観察を試みる。
特別な催しがあるわけではなく、お参りに
数多くの方がみえられる。納骨堂は大忙し。
何時ごろ檀家さんが来られ、お寺はどう応対を
するのか等を眺めて過ごす。
時間を見て、お寺の外も観察してみた。
国道から正面、お寺の本堂を眺める。
綺麗に収まっている。
ただ、人通りよりも車通りの多い道、この角度で
眺める具合となるので、実は隣地の建物に隠れ、
あまり良くは見えない。
帯広出身の若坊守に結婚するまで知らなかったと、
お聞きし、びっくりしたけれどなるほどとも思った。
通常はこの交差点が敷地の全景を眺めるポイントに。
ただし、オセロの一角、特に重要な交差点の角に
隣地の建物があり、これでお寺が全て消えてしまう。
この交差点からの見え方、交差点の状況は後に、
やはり重要なポイントになってくる。
周辺にも足を伸ばしてみた。直ぐ近くに
音更川が流れている。堤防に登ってみると、
川の土手は気持ち良い広がり。
しかし、川はかなり遠くにあるなー
敷地の北側にも用水路があるのだけれど、音更川の
反対側にも川筋がある。今は囲われて真っ直ぐに
流れているものの、そちこちに川筋があり、
これが町並み形成に大きく影響をしている様子だ。
敷地だけを眺めると、必ず何かを間違えてしまう。
敷地は公図、測量図があり、CAD図面にはしている
ものの、実際にどう風景の中にあるのかを知るには、
実際に見て、感じるしかない。理解を深めるには、
周囲を歩き、どういう光景の中に位置するのかを
知りたいと思う。
ただ、歩くとどこも結構な距離があった・・・
国道だけを眺め、車での移動を前提とするのなら、
その沿線沿いには数多くのお店が軒を連ねている。
けれど、人が歩くスケールではそうそう展開しない、
距離感がある。歩いて知る距離感は実体験。
この機会に出会えた貴重な図面。
坊守があれこれ探して下さり出会う。
本堂の立面図だ。
平面図は単線図しかなかったものの、
立面は気合の入った図面で印象深い。
本堂をどう処すか、これは後に判断の
分かれ目となる。