役者

春に『スローな武士にしてくれ』と言うドラマを見た。時代劇の切られ役専門の役者がその剣技の腕を見込まれて主役を演じるドラマ。立ち回りは劇的、演出過多ではなくリアルに見えた。ふと構えた剣は呼吸が整い肩の力が抜けた静な佇まいであり、次に備える風が見事だった。極度の照れ屋で台詞は常に声が裏返ってしまうという役どころ、けれど剣を振らせると随一の上手さというカッコの良い役を演じていたのが内野聖陽という役者さんであった。剣道なのか、かなり勉強している人だろう。

どこかで見たことあるなーと思っていたら真田幸村を描いた大河ドラマの「真田丸」で徳川家康を演じていた人だった。信長没後に陸路を逃げ帰る山中のシーン、「え?この道行くの?」というコミカルな具合が心地良い家康で印象に残っていた。歴史に名を残す人も日常の全てがカッコ良いわけでなく、きっとそういう時もあったに違いない。品を貶めず、威厳を損なわず、けれどグダグダとした調子の良い具合をきちんと演じ視聴者に伝える事が出来るのだと感心した。

それが昨晩、深夜のドラマを見ればゲイ役で出演されていた。風邪で寝込むパートナーのためにお世話が出来ると嬉しそうに料理を作るシーンが素晴らしかった。卵焼きを作るシーン・・・最初のお玉一杯分が思いのほか焼け、箸で返せずフライパン返しを探し、見つからないと右往左往して見つけて返し始め、やや失敗スタートではあるけれど、ここで弱気になって火は弱めずに・・・と、夜遅かった事もあり自分自身が妙なテンションだったのかもしれないが非常に壷に入ってしまったらしく笑った。声を出して。

建築には全く関係のない話ですが。

建築は設計時にはフィクションに過ぎない。クライアントがオーナーになる瞬間、つまり建築が終わり住み使い始め初めて創作の域を出て現実になる。昔から映画が好きで、それらは基本的にフィクションが多いのだけれど、どこかにリアルな現実を感じられなければ観る者は感情移入が出来なくなってしまう。何がリアルだと感じさせるのだろうか?その視点や作り込みは基本設計時のスタンスにも通じるのだと思う。

私がそのドラマを見て思わず笑ってしまったのは、50歳を過ぎたおじさん俳優を「可愛い」と思えたからだ。気持ち悪いではなく、可愛らしく演じる事が出来るのだろうか?まぁ、私にそういう素質があるからかもしれないけれど?おそらくはそうではなく、役者なのか、演出なのか、照明や何かなのかが上手く仕上げられ、視聴者にそう伝える事が出来ているからに違いない。徳川家康と切られ役専門の職人とゲイの可愛いおじさんを同一人物が演じているとは!びっくりした。
・・・それにしても、卵焼きのシーンは壷だった。どこまでが演技なのかアドリブなのか、役者の凄さを思わず見せつけられた夜更けであった。

割と自分はそういうタイプを目指していると思う。常に設計の際にはクライアントの立場に立とうと努め、勘案も忖度もせずに踏み込み理解を越して実感を得られるまで何度でも挑戦をする。業務としての良し悪しではなく、実際に住まい使う際の良し悪しを求めたいから。成果はノンフィクションでありドキュメンタリーである以上、わかったフリをして誤魔化したりはしない。計画時にああまで見事に可愛く演じる事は、一つの理想に違いない。

こんな事、書いて良いのかな?