楽しい夜でした。

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今年もお誘いを頂き、SAPPORO CITY JAZZを楽しませて頂きました。
ドラム、ベース、ギター、トランペット、ピアノの組み合わせ。
昨年はロン・カーターだったこともありリズムに惹かれ今も尾を引く。
今年はホールの音について興味を特に抱き、気になって仕方がない。

会場で聞く音はスピーカーを通した音だ。
目の前で叩くドラムすら、聞こえない。
トランペットも頭を射抜く鋭さはない。
プロの演奏家は強弱を制し適切に聴衆に音を伝える。

会場は周囲に暗幕が張られている。音は反射しない。
実際、終えた後で拍手をしてみると、まるで外の如く。
音の専門家ではないものの、好きな分野でもある。
それは学生時代に慕った先生が音響の先生だった事にも起因する。
彼の授業で聞いた3大ホールの一つ、コンセルトヘボーを
アムステルダムで迷わずに訪ねた程に影響を受けている。
そのコンセルトヘボーでは、拍手をすれば自分が拍手の名手かと
思える程美しく響き渡った。
キタラの小ホールでならやはり、自分は拍手の名手に成れる。

この会場はまるで外の如く拍手で発した音は殆ど帰ってこない。
音は死んでしまうらしい。つまり、デッドと言う。
無駄で余計な反射の無い環境は音を作るのに最適なのだと思う。
スピーカーが大活躍出来る環境になる。
スピーカーから伝わる音は完成された音になる。
ホールの残響は邪魔になるだけ。

プライベートで音楽を聴く部屋を考えるなら同じ事を考える。
スピーカーから伝わる音を正しく聞くために余計を排する。
音源は完成された音が納まるのでそれが正しい選択になる。
音響設備をプロに依頼すれば、聴く位置を定めた上で適切な
レイアウトを提案して頂けるだろう。

それをライブで実現してしまっていた、CITY JAZZの会場。

10m程だろうか、奏者の指裁きも見える距離に居た自分に
伝わるのは完成された音。この不思議は経験が無い。
余りにも綺麗すぎて感じてしまう違和感を伴う不思議。
眼前で繰り広げられる光景が映像を見ているかの如く、
臨場感を失っている気すらしてしまう。
自分の目を信じきれないし、耳はもちろん疑ってしまう。

・・・ご一緒した友人と飲み食い酔い過ごす贅沢な夜、
身を委ねると・・・心地良さしか残さない。

プロの奏者、音を作る人はそこまでを踏まえ提供していた。
凄すぎて最早、何が本物かも考える事が出来なかった。
今の映画を見てどれがCGかSFXかなど見分けがつかないのに
似ているかもしれない。ネガやポジを使わない今の写真も
同じだろうと思う。自分の写真も、RAWを現像するなら
人の目には見えないものもまでも視覚化出来てしまう。

可能な領域が広がれば広がるほど実は真が問われるのかも。
可能なものに頼り真が揺らぐなら迷いだすだろう。
建築の実空間に補正は出来ない。真しか問う事が出来ない。
問われる事は変わりないけれど、しかし、それにしても、
音は面白い。


会場で使われているのは『ラインアレイスピーカー』らしい。
その凄さは、実はお寺の本堂の音響で実際に経験をしている。
一般的なスピーカーは点音源なのに対し、これは線音源になる。
指向性が強く、どこにどの音を置くのかを計画出来る。
場所を見極め必要な装置を得れば適切に音を伝える事が出来る。
もちろんプロが設置すればという条件なのだけれど、
世の中、確かな耳のある人がいるのだね。

本堂を夜に撮影をしている際に、住職が音楽を掛けてくれた。
自分がどこに移動して撮影しても、本堂の中では違和感なく、
常に綺麗に音が伝わっていて心地よく、それが不思議だった。
技術の凄さを享受して楽しませて頂いた夜。
今はこれが当然なのだと理解する必要があるのだと思う。

楽になったのか、より困難になったのか、何とも不思議。
ただ、最後のドラムソロの時ばかりはドラムの音圧を感じた。
ライブ、如何にもライブらしい体の感じる音が素敵だった。