スケール感のある設計。

ブログを書き始めて今年で10年になるらしい。書きたい事、お話したい事は尽きない上に、日々の思った事や感じた事を日記にすれば尚の事。今は仕事の上で『スケール感』、つまり大きさに対する概念、感覚を正す事に注視してもいて、これが建築設計の根幹にして最難関でもあり、続けて書き綴っている。

約8年前に書いた記事に『人と在る』として、好きなアルテピアッツァ美唄安田侃さんの彫刻に言及した。あそこにある彫刻は、子供たちが回りに集いだすと俄然、素晴らしい光景が広がる。野山にあって何故、印象的になるのだろうかと観察し、結局は彫刻を実地で勝手に採寸し、図面にし、3Dにまでしてしまった。

そして、記事は『置いてみる。』で自分の設計した建築にそれら彫刻を並べてみたりした。以来、設計の際は必ずどこかの時点でこの彫刻を立面や断面と並べて検証をしている。

アルテピアッツァ・スケールが適当なら、空間に間違いない。

平面である立面や断面にであっても、並べた際には一目瞭然となる。比較して呼応する大きさで設計出来ている時は安心が出来る。そこで呼応しない大きさと感じる建築は危うい。実際に建てば、人と在る建築が大きすぎて人を阻害し、圧倒し、威圧してしまう。それでは風景にはならない。

設計を初めて以来、スケールに対してはより敏感だったと思う。多くの設計者は気にしないし、そこに優先順位を与える事がない。平面的に機能や利便や勝手が満足できれば良しとする。それが世間では常ではあるけれど、現実には空間が適切でなければ、気持ち良くはないし、居心地は作れないし、好きになる事もない。


間違いのない事に、訓練をしていなくとも人は大きさを感じる事が出来る。身の安全や落ち着き、安心感などを担うのは大きさ、空間の素性に依る。木を使えば「温もりある」と表現される事は多いけれど、間違えば木の表情の強さに圧倒され心地良さなど吹き飛んでしまう。非常に簡単な感覚にして、それを仕組む設計は非常に難しい、設計命題が大きさ、スケール感になると思う。

 

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これは昨年竣工したお寺の模型。外観はエントランス付近の一枚。人が大きく見えるのではと思う。研ぎ澄まし悩み辿り着いた断面、立面を元に製作した模型は、人を置いて初めて実感を得る。このスケールなら間違いないと確信した時の貴重な一枚。

実際にここでは落成法要の際に記念撮影が行われた。その光景は、人が写っているのでここでは公開しないけれど、期待通りの光景があり、初めて安心したのは記憶に強く残る。標準的に設計をしてしまえば、高さは1.5倍は免れない。それでは建物が立派な大きさになり、結果人が小さく見えてしまい、心地よい境内の風景は得られなかった。

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これはある計画で製作した模型、薄いけれど中央右手に人が在る。世の中の住宅でこの大きさ、人との対比が出来る住宅は1割もない。その意味では「普通」ではない建築なのだけれど、本来はこういう大きさの関係であるのが望ましいと思う。家を背景に写真を撮れば壁しか写っていないのでは寂しい。


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模型は内観においても確かめる。人を置くと、どんな大きさかが想像出来る。居心地の良さ、落ち着きの良さ、安心のある様など、実際に尋ねた住宅空間で感じる事はあるだろうか。綺麗であったり豪華であったりはしても、そう感じない事の方が多いのではと思う。つい落ち着いて長居してしまえる空間である方が、それが住宅なら相応しいと思う。それをどう設計するか?

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60坪規模、吹き抜けを加えると70坪を超える住宅のファサード。前面は2階建て相当ではなく1.5階相当の高さに抑えている。階高も切り詰め、室内空間は十分な容積にして外観上はコンパクトになるよう取り組んだ。庭先でのBBQ風景を撮ると、実に楽し気に見える住宅です。


建築を設計するのなら、居て心地よい空間を求めたい。