自然考察:針葉樹

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広葉樹は葉が重ならない様に間を開けて空間を使う。
針葉樹は重なる事を前提にし空間を密実に埋め使う。


広葉樹は被子植物に属する進化の系譜では後発、裸子植物である針葉樹より広域に展開を果たし、成功を収めた種のグループになるのだそうだ。花や種の構造は明らかに洗練されて見える。広葉樹の最大の特徴は空間を広く使う事だろう。広く大きな葉を自在に空間に展開出来る能力は針葉樹にはない。


そもそも木とは何だろうか。定義は少し難解そうだ。細胞は細胞膜で覆われていて、植物はその外側に「細胞壁」がある。中学校で習った知識だけれど。その壁を大きく強固に(木化)出来たグループは巨大化し木になるイメージで、大雑把には正しいだろうか。草葉の様に平面的に展開するのではなく、一定の大きな環境を形成する事が出来るようになる。太く大きな幹、支える強く張った根、その群は風雨や雪にも耐える上に保水の能力も高く、自ら住み良い環境を生み出す事を可能にした・・・多分。その安定した環境は他の動植物にとっても等しく住み良い世界となり、生物世界が広がったに違いない。

そもそも植物とは何だろうか。これも定義は難解になりそうだ。最も分かり良いのは「光合成」をする生物に違いない。光合成とは光エネルギーを化学エネルギーに変換する仕事、水と二酸化炭素からデンプンなどの糖を合成する。水を分解する際に酸素を生じ放出する(Wiki調べ)。他の有機物からエネルギーを得るのではなく、陽と水と二酸化炭素で生命の糧となるエネルギーを生み出せる能力は植物特有のものだ。未だにこの生産的な仕事を人の技術は可能にしていない。きっと生命創造ほどの難解さなのだと思う。

そもそも・・・木はどう成長するのだろう?最早、何を書きだしているのか不明になりつつある。ここまでくると空想以外の何物でもないのだけれど、僅かに知識を加え科学的に推論をしているつもりではある。生命に欠かせないのは「水」に違いない。光合成にも水は要るし、細胞の湿潤の基本も水だろう。これは動物も植物にも違いはない。植物はその水を成長や生命維持の他にエネルギーを得る為にも使う。根を張り水を集め、得た水を持ち上げ葉へ送り、光合成で得たエネルギー(糖)を根に戻すか果実に貯め、次の生命へと繋がげて行く。水の運搬は毛細管現象のような些細な作用を基本とする。動物なら心臓や血管を使えるけれど、その様な動力は使えない。詳しく調べてはいないし、まだ推論は及ばないけれど、気候の変動、昼夜の温度変化、乾燥と湿潤の度合等の自然の作用のみで揚水や糖の運搬までを可能にしているのだろう。恐ろしい程に緻密で精巧な仕組みを信じられない程に簡単な作りで達成させている。

広葉樹は外から観察する程度で想像を容易にしてくれる。秋か冬か元々仕組まれたものか「葉」は当初は基本的に繊維片に過ぎない。小さく折り畳まれたもの。これが春に暖かさと乾燥と湿潤の具合で樹木内部の水循環が始めると潤い、その繊維が膨らむ。水分に浸されれば勝手に広がり、その表層の乾燥硬化により所定のサイズに広がり、一定期間使える恒常的な「葉」となる。秋に乾燥と寒冷が進むと水が絶たれ、葉は乾燥し繊維片に戻り壊れ落ちる。枝は伸びる際に必要な個所に将来の葉となる繊維片細胞を残しているに違いない。


樹木になる際、裸子植物の方が成長に要するエネルギーは少なく済むのではと予想してみた。栄養価は広葉樹が高く、針葉樹は劣るらしい。葉を餌にする昆虫は広葉樹の方が多そうだ。
大きな樹木本体に必要なエネルギー(糖)を得るには多くの葉が必要になる。葉を多くすれば、その葉が重なりだし光合成をするに十分な陽が当たらないかもしれない。葉の展開方法は平面的に広がる草葉の植物よりも重要になる。更に虫に食べられたり風雨で失うロスも考慮しなければならない。自らエネルギーを生み出せるとしても有り余るとは思われず、相当効率的に使わなければ成長を遂げられない。人の生活のようにゴミを大量に生み出す無駄の多い状態ではきっと、成長する前に朽ちてしまいそうだ。もちろん動物の心臓の様な動力はなくエネルギーの大量発生や消費も出来ないのだし遅々となる。春の水芭蕉のように水分のみでブクブクと肥大化出来る植物もあるけれど、木の場合は強固にして長期間耐え得る構造を得る必要がある。葉はその意味では唯一木において失う事を許される柔軟な部位になるのだろう。

針葉樹の葉は細い。広葉樹の様に枝を空間に自在に伸ばす器用さはない。真っすぐ天に伸びる太い幹を基本とする。真っすぐに伸びる特性から建築材料として便利に使えるのだろう。木造の構造材では必然の材料。その太い幹から枝は伸びる。広葉樹の様に立地や周囲の条件に合わせて幹すら変化させ臨機に展開するスキルはなく、真っすぐ上に伸びるのみ(必ずしもそうではないケースも多々ですが)。先に成長を果たした低い枝葉はより外側へ伸び、上方の若い枝葉短く、一つの幹に設ける事の出来る枝を構造上安定させつつ、空間展開において葉は空間を密実に使う選択肢しか無かったのではと思う。その状況下で葉が重ならぬように、密実で設ける事を可能にしたのが「針葉」の細い葉ではないのだろうか。密実とは言っても固体が埋まるわけでなく、生じる隙間を上手く利用したに違いない。一枚一枚の細い葉に大きな仕事を求めず数多く設ける事で目標を達成させる戦略。効率的とは呼べないかもしれないけれど、実に合理的なスタイルだ。後発の広葉樹は効率的、葉を切り捨てる事を肯定的にする事で更に臨機に対応出来る柔軟さを得ているのではと思う。


針葉樹の葉など正直、意識するのは稀だ。ただ、春の青々とした様、秋の枯れ帯びる色、それを葉単体ではなく樹全体で表現して見せ、森か山全体の色合いを整えて魅せてくれる。実に綺麗で主役を張れる美しさにも関わらず、広葉樹の散る花に人は目を奪われてしまう。やや不憫だけれど、総体で印象を作り上げる様については実に魅力的だ。唐松林の紅葉に目を奪われ車を止めて写真を撮った事が何度もある。ただ、近寄ってもどれがその印象を作ったのか探せない事も多い。点描画の様に一つ一つの点ではなく全体で絵の出来上がるのに似た印象がある。

空間を開けて使うか、埋めて使うのか?埋めても使える手段を実践しているグループは、気付けば実に興味深い存在だ。・・・もう何年も前から気付き興味を抱き想像は膨らませていた。思い切って、それを文字に起こしてみる。建築設計において、空間を密実に使える術を探す事が出来れば温故知新、新しい何かを得られるに違いないと想の書き出しを試みる。葉一枚ではなく、集合全体で世界を創る。



かなり、一生懸命に書いた。論文を書きだそうかと言う勢いだ。が、言いたかったのは単に、細い葉で密実に空間を利用する様に興味を覚え、その成果が全体の印象を創るという面白さに気付いた。何とかそれを常緑の様に恒常的な設計方法へ導けないかな?と思い立つ。学生時代なら、卒業設計のコンセプト創案の一端に出来そうな完成度を感じている。実践で応用するには、余りに未解決な幼いまま、地道な検証検討が必要になるとしても。諦めずにこれからもこのアイディアは温め、何時か陽を浴び伸びる様に。