探検の旅は十勝へ ③

f:id:N-Tanabe:20201002063214j:plain
Google MAPの航空写真を眺めれば、旭浜などの海岸線に四角い塊が多数見る事が出来る。行けば本当にコロコロと落ちている。

経験的なので正しい理解ではないかもしれないけれど、縄文海進の頃の浜辺は今は高台で海岸の段丘上になる。今より数度温暖だった5000年前後前の海岸線は今より内陸にあった。遺跡はそこから出てくる。今より数度低い更に古い氷河時期の海岸線はもっと後退していたのだろう。旧石器時代の遺跡は今は海の中に保存されているのだろう。

75年前の戦時中、米軍か連合軍の上陸を北海道でも想定したのだそうだ。トーチカと聞けば知識がない。映画「プライベートライアン」で描かれたノルマンディー上陸作戦、海岸線の段丘高台に築かれたトーチカには機関銃が備えられ、上陸する兵隊を見下ろし掃討していた。ああいう備えなのかと思っていたものの、まるで違うらしい。

当時既に上陸する相手を正面から迎え撃つ事は諦めていたらしく、上陸してきた相手を側面から狙うためのトーチカだったと言う。機関銃どころか鉄砲を用意するのが精々だったに違いない。銃眼という開口がトーチカには設けられている。その穴に銃を差し入れ打つ。その銃眼は海ではなく横を向いている。

十勝の海岸は荒波に浸食され、段丘とその下の砂浜に別けられる。室蘭から森町までの噴火湾は狭く波は穏やかで砂浜がある。低地に鉄道や国道が在り町も広がる。室蘭から宗谷岬までの西側太平洋岸は苫小牧に低地で砂浜が広がる。古くは海で、樽前の噴火等で埋められ湿地となった地域で、それ以外の多くは宗谷岬から釧路までと同じ段丘になっている。

上陸は見つからずに取り付くのは太平洋からと当時の日本人は想定したに違いない。段丘は天然の要塞になるので上陸ポイントはある程度大きな河川近辺を選ぶだろうと。大きな河川なら扇状地がありスムースに内陸へと進行が出来そうだ。浸食されている段丘の崖面は登れないけれど、水が流れ出来た緩やかな斜面は自分でも歩ける。

トーチカはそういう場所を選んで河川の左右に数基が設けられている。そして、銃眼は側面にある。②で案内した宙に浮くトーチカも銃眼は海方向になく河川方向を向いている。真正面から対峙する事を諦め側面からと言っても、銃を差し込む程度の穴しかなく、相手が大群なら脅かせる程度にしか役立てない事を前提としたのが北海道に残るトーチカだ。

要は役立たずの存在。にも関わらず恐ろしく手間を掛けている。脅かす事が目的なら土嚢で良さそうなに。ひょっとすると土嚢程度のものもあったのかもしれない。重機も無かっただろう頃、資材は荷馬車で搬入したらしい。施工したのは、若者は居ないので中学生くらいの子供か、おそらく戦地へ行けない老人か。場所は笹薮でイタドリが高く覆う上にハマナスのトゲトゲの草に覆われた先にある。先日は少し入った際にハマナスを触ってしまい、半日チクチクと痛かった。冬ならまだマシ、夏場なら茨の道だ。掘削はおそらく人力、トーチカの入口は河川と反対側に設けられ、それは地面より低く、そこまでは塹壕が掘られていたそうだ。航空写真を観察すると塹壕跡が今でも確認出来るトーチカもある。北海道の原生林や湿地を開拓した知恵や技術があれば、何とか出来るのかもしれないけれど、正直、今スコップを持たされて掘れと言われれば、投げ出して帰る事は疑えない。

資材はおそらくセメントだけ、砂利は海のものを、水は河川か海の水を使い、現地で練り、打ったのだろう。トーチカの壁は厚く1m程度ある場所もあるらしい。屋根は厚く1.5m程もあった。建築としては小規模としても人力で築くには巨大だ。現場で練り上げるコンクリートの量は果てしない量になる。銃眼は、穴は小さいものの外へ広がる。打たれた時に内部に引き込まないよう弾をはじくように段々になっている。きっと何かしらの共通仕様があったのではとの事だけれど、その資料は見つかっていないらしい。

建築したのは専門業者ではないので、一つ一つにきっと個性があるに違いない。ただ、何れも粗悪な施工しか出来なかったので、その差異も確認出来ない様子な上、平面すらおおよそであり、現地であれこれアレンジされてもいたようだ。ガイド下さった方の調査資料でも同じ形状仕様のものが大量にという様ではなかった。

おそらく打設は3回。地盤に埋め込んだ床面、壁面、屋根の3回。床は掘った穴に型枠無しで打つ。屋根は1.5m程の厚さ、一気にコンクリートを打つ量は確保出来ず、練っては込め、込めては練りなので層状になっている。

人力でとなれば、果てしない仕事になる。これを一体どういうメンタリティーで取り組んだのか?全く謎だ。建築なら目標があり、喜びあり、満足まである。このトーチカの建築は目標が曖昧で喜びなどなく、完成しても満足もなかった事だろう。役立つ事等ないと理解出来るし、役立つ機会など求めないし、唯々浪費の為と知っていただろうから。

この構築物を「建築」とするなら、本当に惨めなものだ。トーチカ自身が自身の存在を疑い迷い、混乱してそうなくらいに惨めだ。

建築には開口がある。窓だ。窓を通じて外と繋がれる。眺望があり、採光し、換気が出来る。外と繋がる事でシェルターとして人の生活を守る囲いが解き放たれる。人の住まう、使う環境をより快適に得られる。

トーチカの開口は銃眼しかんく、銃を差し込む穴でしかない。そんな穴でしか外と繋がれない建築を許容する事等出来る分けがない。出入口は地表面以下、先は塹壕となり屈んで歩む、外から見られない事が前提の卑屈なものでしかない。機能的なのかもしれないけれど、一切か考えた事もない。只管、哀しくなってしまう。

・・・一気に長々と記した。覚えている事をメモしておきたい。

f:id:N-Tanabe:20201002063208j:plain
一枚目には4,5個のトーチカが写っている。反対側のこの写真には二つ。この日が特別だったのか、とにかく波は怖いくらいに高く、遠慮なく打ち付け続けている。見えているトーチカは落ちてから長いだろうに、朽ち果てる事も出来ずに波に当てられ過ごしているのだろう。巨大で重い塊は撤去も困難なので放置され、護岸は避けて行われている。

f:id:N-Tanabe:20201002063221j:plain
広尾港を東から望む。手前の、波に飲まれる四角い塊は段丘から落ちたトーチカ。

f:id:N-Tanabe:20201002063302j:plain
広尾港の厳島神社(しめ縄のある興味深い神社?)の近くにある巨大な岩、この中に3層構造のトーチカが築かれたらしい。今は防潮堤に隠されしまっているけれど岩面にコンクリートが確認出来た。ここなら、確かに場所は良いのかもしれない。しかしながら、この岩をくり抜いてトーチカを築こうと思う神経は理解は及ばない。

ここで貼った写真は海岸にあるトーチカの類々。広尾のキャンプ場の崖縁のものも視察をした。未だ段丘に埋まったままのものも少ないくはないのだけれど、既に落ちてしまい波に洗われるものは多く、それが太平洋の荒波でもあり、どうにも切ない。粗悪な施工と材料にも関わらず重厚過ぎ、朽ち果てる事も許されないのだから。