LUDWIG VAN BEETHOVEN① 突如、私に訪れたベートーベン・ブーム!

お正月はテレビを観ていてふと退屈を感じ、気付けば聴いて過ごしていた。聴いていたのは昨年末から楽しんでいるクラシックはベートーベン様だった。昨年は生誕250年だったそうで、本来なら演奏会等も多かっただろうに。

しかし、それにしても突如、ベートーベン!

どうして私に訪れたのかこのブーム?本当に何が起こるのか分からない世の中だ。
実際、とても聴き易いのかもしれない。来て欲しい時に来てくれるような分り易さ、音は多彩で賑やかにも感じられるし、重なれば深まり重厚にもなり、心象に良く響くらしい。全く知識がないので、これがたまたまなのか、本当はもっと私の望むものがあるのか、この興味が続くのか発展するのか、直ぐに終わってしまうのか、謎だらけの初の経験に驚き過ごしている。

幾つか思い当たる節はあるのだけれど、聴き始める直接の切欠はベネズエラ出身の指揮者、ドゥダメルによる交響曲第7番と第8番の動画を見つけたからになる。そもそもは綺麗なホールだなと目に止まる。舞台はバルセロナにあるカタルーニャ音楽堂だった。サグラダファミリア教会で有名なガウディの地元バルセロナはスペインと言うよりは「カタロニア」という固有の文化圏がある。ガウディ一人が特別だったわけではなく、その地域が独自の文化圏を築いていた。この音楽堂はその成果の一つで、しかも華麗で見事な建築だ。実際に使われている光景に興味を覚えたのが始まりだ。

ステージは広くはない。本当にオーケストラが入るのだろうか?と思える程に見える。インテリアは石やタイル、ガラスで覆われ、音響上は最悪ではないかと思われるのだけれど実際はどうなのだろう?知るのは実際に立ち合う以外に知る由はないか。今は、屋外のコンサートでも適切に録音が出来、臨場感ある音を再現出来てしまうし、聴く分には全く申し分がなかった。

余談になるけれど、例えば札幌の音楽専用ホール、キタラの小ホールは音響が抜群に良い。あの大きさなのに楽器の発した僅かで繊細な音が隅々にまで行き渡る。ホールは既に楽器、その良さは実際に体験すること以外に実感が出来ない。知れば、痺れる。

と言う事でドゥダメル指揮によるベートーベンの交響曲第7番と第8番は優雅で、何と言うか楽し気であった。指揮者も奏者も、その表情は皆が楽しそうに見えたのも印象が良い。気付けば毎日、何回も聴き過ごし結局、お正月まで観て聴くくらいにイイ。
 
クラシック音楽は、ラヴェルの『ボレロ』を聴き込んだ事がある。それ以外のまともな経験も知識もないものの、コンサートに行くのは楽しくて好きだ。生の音を楽しめる機会は特別だ。小スペースでのJAZZライブでも間違うとスピーカーが助ける事になる。PMFは毎年楽しみにしていて、時間が許せば足を運んだりもする。ただ、テレビで見るのは苦手だった。映像と音が一致しないジレンマが苦手。



時々、突如として興味が芽生え、突き進みはまり、耽る事がある。理由は分からない。気になっていた事だからなのかもしれない。ともかく、ある日突然に何かのスイッチが入るのだろうな。

10年程前になるだろうか、純文学にのめり込んだ時期がある。絶頂期には谷崎潤一郎の『細雪』を一週間で読破しいていた。あの文字数をどうやって?どうやって時間を作ったものか。読んだ本は数年で100冊を超えていた。


ひょっとすると、これまで敬遠していたクラシック音楽ブームが自分に訪れたのだろうか?残念ながら私は「耳」がない。クラシックのような繊細で厳密な音楽を理解出来るスキルがそもそもないのに、本格化するのだろうか?音なので、何度も聴いて体に覚えさせる事は出来る。私にも、クラシック音楽を楽しめる時が来るのか、どうか。

日記を書く習慣はないので、ブログでは個人的な事もたまに書く。自分に訪れた興味がどう変遷するのか?記して置きたいと思う。これに出会い読まされてしまった人は気の毒化もしれないけれど。どうやら理解の方法は私の設計方法を使っているらしく、その事にも興味を覚えている。果たして、設計において求める建築を理解するための常套する私の設計手段が、未知のクラシック音楽にも通じるのか?試してみようかな。


◇記事一覧
LUDWIG VAN BEETHOVEN⑥ ここまでについて。
LUDWIG VAN BEETHOVEN⑤ 参考資料。
LUDWIG VAN BEETHOVEN④ 作家年表をつくる。
LUDWIG VAN BEETHOVEN③ 交響曲第7番を集める。
LUDWIG VAN BEETHOVEN② 先ずは分析を試みる。
LUDWIG VAN BEETHOVEN① 突如、私に訪れたベートーベン・ブーム!