LUDWIG VAN BEETHOVEN⑤ 参考資料。

ベルリンフィルハーモニーコンサートホール

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ベルリンフィルの本拠地となる「ベルリンフィルハーモニーコンサートホール」。ミース・ファン・デル・ローエワルター・グロピウス等20世紀を代表するドイツの建築家の後継で、彼等とも一線を期す天賦を見せたハンス・シャロウンの設計によるコンサートホール。彼の空間は、これまで出会った空間の中でも特別だと感じている。隣接して建つ彼の設計による国立国会図書館もまた素晴らしい。その内部空間は正直、スケッチに描き切れない初めての経験をさせられた・・・描いたけど下手だったので見せません。

ヴィム・ヴェンダース監督の撮った名作映画『ベルリン天使の詩』で天使の出るシーンの舞台に使われたのが、その図書館だになる。室内に居る人を撮るだけで、宙を浮く天使に見えてしまうのだから、恐れ入る。

ただ、最も興味を覚えたのは、コンサートホールの設計コンセプトだった。訪ねたのは、それが本当に実現出来ているのかを自分の目で確かめたかったからだ。中央に奏者ステージを配置し、聴衆がそれを囲むプランを貫かれていた。当初のスケッチは大きな円の中にステージに相当する小さな円が描かれていたと思う。パトロンのためにではなく、文化は市民のものだと宣言するかの様で、それが戦後のドイツはベルリンに求めている。建築が時代に応えられるかもしれないと思わせてくれた印象深い建築だった。その成果は「ワインヤード型」とのホールとして、今日では特に人気のあるスタイルになっている。

現代なら解析も可能で良質な音響を得る事も出来るようだけれど、あまりに難解な室内形状は造るのも大変に違いない。日本を代表する音楽ホールだろう「サントリーホール」の親になる。札幌の「キタラ」は孫だろうか。

ベルリンに行く事があれば、訪ねる価値があると思う。キタラの先祖だ!と誰しもが思うに違いない。しかもベルリンフィルのホームなので演奏が楽しみ。


■コンセルトヘボウ

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音楽ホールの中でも、音響に優れたホールとして世に知られるのがオランダはアムステルダムにあるコンセルトヘボウだろう。私はここで2度、聴いているのは自慢だ。訪ねた際にコンサートを終え人の引けた頃に一人、拍手をした事がある。あれは特別な経験だった。まるで自分が「拍手」の名手になったかのうように、自分の拍手が美しく響き渡った。それに歓喜していると、係の人が私を見ていて、「そうだろ?当然だよ」と言う顔で笑顔を見せてくれたのも印象深い。まぁ、拍手して歓喜する様を観察されていたのかと思えば、ちょっと恥ずかしくはあるけれど。

一度はオーケストラ後ろの席で聴いた。弦楽奏者の伸ばした弦を捕まえられるくらいの位置で。眺めれば指揮者が私にも指揮棒を振っている臨場感のある場所。凄いのは、客席ではなく奏者自身が、自分の発した音を確かめられる環境にあったことだ。勝手な想像にはなるけれど、奏者が自身の発した音を適切に把握出来るのだから、奏者冥利に尽きるのではないかと思う。きっと、ここで演奏するのは楽しいに違いない。

最高峰の音響を備えた格式高い管弦楽団の公演、一度は試して損はない、人生において極めて貴重な体験が出来るはず。


■日本の純文学文学者年表

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10年程前に突如、私に訪れた純文学読書ブームの際に製作した作家年表。それまでは読書とは専門書のみの私が、誰かの創作話である小説を読み耽り過ごした。

切欠の一つはアーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』だろうか。シリーズ読破はしていないものの数巻を読んでいる。第一巻の決定的なシーンは、まるで三国志孔明の策の如く見事で、あの痛快さを知ればもうね。
時同じくして太宰治も楽しんだ。こちらは、緩く、だらしなく、不摂生な様に潜む切なさに真理が潜んで居そうな魅惑に包まれる。外国文学も果てはスタンダールドストエフスキーまで派生し読んでみた。非常に楽しんだのは国語の教科書か試験でのみで知っていた作家達の多くに触れた事。三島や安部はもちろん、特に美しい芥川、最も強烈な川端、最も好きな谷崎等の本を数多く読んだ。積み上げた本はは100冊を超えている。その彼等を年表にしてみた事がある。少しではあっても客観的な理解が深まり、背景を想像する事が出来る。夏目漱石を「先生」と呼ぶのもわかる気がする。その先生に「こゝろ」なんて書かれたら川端くんも焦ったに違いない。

■カスパー・ダフィート・フリードリヒ

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ロマン派の画家、イギリスのターナーは主にロンドンのテート・ギャラリーにそのコレクションが集められている。訪ねれば走馬灯のように名作を鑑賞できる。対してフリードリヒは古典であり、ドイツ全土の美術館に点在している。どこも数点のコレクションがあり、それが当然という風だった。出合うにはあちこちを訪ね歩かなければならない。幸か不幸か、初めてヨーロッパを旅した際はドイツ中の美術館から殆どが失せていて、聞けば皆が「プラド」と返って来た。スペインはマドリッドプラド美術館でフリードリヒ展が行われたのだった。結局、何故か寒く暗いドイツの幻想的なロマン派の絵画を、暑く明るく陽気なスペインで鑑賞する事になったのだけれど、見たかった絵の殆どを一同にしてしまえる幸運を得る事が出来た。ただ、折角プラド美術館に行ったのに多くの時間はフリードリヒの絵画のスケッチに時間を使ってしまう事になってしまった。

ロマン派の絵は、対象を絵の中心に据える日の丸構図も多く、実直で素直な絵が少なくない。それ以前の宗教画のような情報の多さはなく、幻想かと思う程の理想的な自然を背景に一人向き合うような静かな空想世界が広がる。ドイツはそもそも産出される石は黒く、大理石で教会を創ったイタリアやモザイクタイルで色彩豊かに作ったバルセロナの建築とは違い、有名なケルン大聖堂など、黒々として荘厳だ。印象派後の表現派のドイツ絵画も光あふれる事はない。ターナーは戦争の爆弾の光を用いた事があるくらい。そもそも太陽が低く光に満ち溢れるのは想像世界のみ、それは理想的な光を求めていて北欧に近い印象を受けた。そこにある陰影世界が礎かもしれない。月と夜の森で灯す焚火の対比、低くある陽、霧の靄の森の中に佇む廃墟の教会・・・

フリードリッヒはグライフスヴァルト出身の人、元は東ドイツバルト海に面する小さな町の人だ。スコットランドの荒涼とした風景に似るかもしれない。彼の絵に数多く出てくる廃墟の教会は実存し、街はずれのエルデナを訪ねれば今でも見る事が出来る。

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気合を入れて描きだしたものの、訪ねたのは雪降る真冬で寒く、手は動かず。暖かい所に戻ってから描き足そうと思ったのだけれど、触れずに至る。実際に、ロマン派の世界が実存していた。


以上、資料編です。


◇記事一覧
LUDWIG VAN BEETHOVEN⑥ ここまでについて。

LUDWIG VAN BEETHOVEN⑤ 参考資料。
LUDWIG VAN BEETHOVEN④ 作家年表をつくる。
LUDWIG VAN BEETHOVEN③ 交響曲第7番を集める。
LUDWIG VAN BEETHOVEN② 先ずは分析を試みる。
LUDWIG VAN BEETHOVEN① 突如、私に訪れたベートーベン・ブーム!