トーチカ 2020年視察より。

「トーチカ」昨年見たものの中でも特に印象的だった。


例の如く企画していた「縄文探検隊」は昨年、縄文要素は僅かながら、十勝を巡った。視察地として十勝沖の太平洋岸でトーチカ群を見ている。実は秋に書いたものの、操作を間違い上書き?してしまい記事を失ってしまった。気合を入れて書いたものが消えてしまい、以後、書き直す事が出来ず。改めてここに貼るのは新聞に載っていた「宙に浮くトーチカ」等。それらは多くに人に知って欲しいと思う存在だった。

戦時中は北海道も艦砲射撃などの直接的な被害があったらしい事は自分も知っている。けれど、今は目に出来る痕跡は乏しい。偲ぶ痕跡が在るのなら考えは深まるのではないかと思う。

お寺の設計の際に伺った事にゼロ戦の話があった。当時はお寺の檀家単位でお金を集めゼロ戦(戦闘機)製造のスポンサーになったのだそうだ。レーシングカーにスポンサーして社名を貼るような行為が戦争を支えていたらしい。そのような話は初めて耳にした。身近に生じていた事も、伝わらずにいれば無かった事になってしまいそうで怖い。

トーチカは太平洋側に多数が今も残されている。襟裳岬を堺にして東は十勝沖から釧路まで、西は浦河、日高、苫小牧までの海岸沿いに在る。ソ連侵攻に備えて日本海オホーツク海沿岸にも何かしらが在るのだろうか。

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衝撃的な出会い。ノスタルジーなど微塵もなく、悲哀の欠片もない光景がそこに在る。嘗てトーチカだったものは海岸に転がっていて、点々と遠くまで続き、ただ波に洗われるばかり。この光景は一体何だろう?

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昨年新聞にも掲載された「宙に浮くトーチカ」がこれになる。数多く在るものの訪ねるのは危険な場所もある。興味本位では理解は及ばぬものと思う。十勝沖なら適切に案合い下さる知人があるので、お知らせ頂ければ紹介出来ます。これが何か?正しく知って欲しいと思う。

実はこのトーチカ、訪ねた二日後に落ちてしまった。元々は川筋の丘陵に築かれていたもの、川と海の浸食で露わになり、宙に浮いてしまう。戦後75年を経て、訪ねた直後に落ちるとは偶然にしても、意味深く感じる。正直、現地では下を潜りもしたので非常に危険だったに違いない。

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地表に埋め込まれる矩形のコンクリートの箱がトーチカになる。

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地層の露わになった丘陵の断面に埋め込まれていて、浸食により隠れていたものが露わになる。秋の太平洋は、そもそも遮るものなく強く北海道に当たる上に雨勝ちの空、怖いだけの現実を見せるばかりだった。


もう少し、書く。

写真のトーチカには長方形の穴が在る。それが銃眼になる。丁寧なトーチカの銃眼は雁行する段々があり、打たれた際に銃眼を弾く構造になっている。稚拙な施工ではアヤフヤで銃眼を内に弾き招きかねないものもあるらしい。

問題はその銃眼の向いている方向になる。これは河川敷を向いている。それが何より悲しき実情になる。アメリカ軍なのか連合軍なのか、本土上陸に備えて北海道に設けられた戦争施設の一つがこのトーチカになる。映画「プライベートライアン」の冒頭で執拗に描かれるノルマンディ上陸作戦、ドイツ軍は鉄壁のトーチカを築き、その銃眼から機関銃で上陸する連合軍を掃射するシーンはあまりに印象的だ。

同類なのかと思えば、このトーチカの銃眼は海ではなく川を向いている。北海道の太平洋岸に砂浜は少ない。記憶では数千年前の縄文海進で浸食された段丘が壁となり立ちはだかっている。そこを登るのは現実的ではなく、上陸可能な場所はある程度大きな河川になる。トーチカはそのような河川の両岸の高み、丘陵の中に埋め込まれ設置されている。内陸部にもあるらしく、それらは順路を狙うか、物品倉庫ではないかとお聞きしている。

つまり、このトーチカは上陸を真正面から対峙するのではなく、上陸した相手を側面から狙う事が目的だ。当時既に物資も武器も無かったのだろうし、あの小さな銃眼に機関銃を設置出来そうな気もしない。鉄砲を持った人が一人、構える程度でしかない。本気の沙汰とは思われない。上陸は大群だろうし、そこに鉄砲を打ち込めば驚かせる事は出来ても、それだけだ。逆に自分の場所を知らせ攻撃してくれと言わんばかりの為の施設。

建築においては共通仕様書があったに違いないものの残されてはいないらしい。存在は旭川に当時在った軍事拠点で分かったとも聞いた。備えなければならないものの、何をして良いのか理解出来ず、無駄な事は他にもきっと多く在ったに違いない。

目の当たりにして正直を述べると、馬鹿みたいな代物に見える。

今も辿り着くのが難しい場所が多い。実地で厄介だったのはハマナスの針、あれは痛くて立ち入れない上に、そもそも笹薮に覆われている。建築敷地は極めて辿り着くのが困難な場所でしかも丘陵の突端で危険でもある。また、トーチカへは塹壕がジグザグに掘られている。身を隠してアプローチするためのものだ。そこに大きなリビング程の穴を掘る。天井厚は1.5m、人の入る空間は1.8m?低版厚も1.5mだろうか、これに現地で練ったコンクリートを流し込んだらしい。

道路はなく、重機もない時代。馬車で荷を運び、手仕事で堀り、海の砂と水で練ったコンクリートを地道に流し込み、75年経ても朽ち果てる事の出来ない程武骨な重量物が造られている。海岸に放置されているのは撤去が困難だからだろう。男手は乏しく、少年か老人が携わったのではないかと聞いた。人手と聞けば途方もない仕事が必要なのは想像に難くない。笹を取り除く時点で嫌になる。そこから数百メートルも塹壕を掘り、目的地では何メートルも穴を掘る。やっと出来た穴に大量のコンクリートを練り上げ流し込む。それを人力で行うとは、気が遠くなる。

造るものに活躍する希望はなく、実際には使われる事もなし。絶する仕事を費やしても達成感は無かっただろう。こんな報われない仕事がこの世にあるだろうか?

廃墟や遺構をノスタルジーを持って楽しめるのは、それが使われ賑やかだった時があればこそ想像し、偲べるからだと思う。それが微塵もないトーチカは、感情を一切拒絶するばかりだ。造った人達の仕事を労う事も不可能だ。無意味で無駄、何事も無かった存在。今は太平洋に洗われ、遠い将来に朽ちるのを待つだけが宿命の「建築」。

こんな不幸な建築を見た事は無かった。初めて見る建築。

こんな謎の存在に故郷の北海道でこの歳にして出会うとは、世の中、何が起こるのか、起こっていたのか、怖くなってしまう。
ヨーロッパの街では石造りの建物に銃跡が残っていたり、穴だらけの彫像が在ったりする。壊れたまま残されている教会もある。痕跡があれば、そこでと知る事が出来る。トーチカは既に建築時の資料は無いか乏しく、建築した方々も多くは既に居ない。今はそれが何なのか知る由もない。それでも、まだ存在している。想像は及ばずとも考える切欠には十分、脳裏に焼き付く光景だった。


縄文探検は9月末に実施した。連休で込み合うだろう時期を避け、感染者数が増加しない事を前提に、参加者は3日前からの体温測定の提出、家族等近親者に感染者が出た場合は不参加として。今思えば随分落ち着いていた時期に巡り合っていたと思う。