解説者

先日放送があり、今年は見逃さずに済んだのは何とバレエは『ローザンヌ国際バレエコンクール』。バレエは、モイラ・シアラーが主演した古い映画『赤い靴』を知っている程度の知識しかないのに、テレビで眺めるだけにも関わらず興味深くとても面白い。

 

若いダンサーの登竜門らしく相応しいスイスはローザンヌに舞台が用意される。決選には世界中から集う男女問わず20名程の若い学生ダンサーが選ばれ、伝統的なバレエであるクラシカルと現代ダンスのコンテポラリーの2種(何れも課題曲と振付の決められた数曲がある)を踊る。舞台にはセットがなくフラットな照明のみ。将来性ある学生に道を開く事を趣旨とし、評価は特に基礎力が大切にされる。

一見すると、とても地味だ。何もない舞台でクラシカルとコンテポラリーの2種、2~3分の踊りを披露をするのみで、パフォーマンスではなく基礎力からダンサーの素養の評価する。削ぎ落された評価環境が実は、些細な個性をより際立たせる事に成功している。同じ曲と振付で基礎力を問う故にテレビを眺めるだけの私にも個性が感じられてしまう。それがクセとなり、毎年楽しみにしているのだから不思議。

今年は舞台は叶わず、選定されたダンサーは各々の環境で踊り、動画での審査であった。そこは建築家、つい踊られている場所に目が行ってしまい、あまり良く観察出来ずであった。ではあるけれど、色々な場所があって面白くはあった。

 

なぜ教養のない私にも楽しめるのか?これは解説者によるのだと思う。近年はダンサーの山本康介さん。発言は選んだ丁寧な言葉で時に自身の体を使って指摘を表現してもくれるので分り易い。「もう少し背骨を曲げて使うと・・・」という独特でユニークな表現の多いのは興味深い。ニュアンスは通じてしまう。ただ、バレエダンサーの評価は例えば採点スポーツ競技のフィギュア・スケート等とは違い「美」を表出する芸術の審査、極めて難しい。ダンサーはアスリート並みの身体能力があるのだけれど、使い方を間違えると一気にスポーツになってしまう。基礎技術を備えたダンスは明快に芸術的で質素なコンクールの舞台であっても「美しさ」を魅せてくれる。

解説の妙は実は見始めた頃の解説者の影響が強い。これが大原永子さんになるのだと思う。学生相手に手が長い脚が長いと身体的特徴や容姿までに批評を加えられていた。身も蓋もない様は強烈で、但し基礎のみにも関わらず漂う気品や優雅さ、華やかさまで評価されていた。それを聞いて眺めるなら私にも感じられる気がした。まぁ、こちらは容姿や華やかさに目は奪われがちで見間違う事も少なくはないのだけれど。

解説者はその解説を通じて見知らぬ世界を理解出来るよう案内をしてくれる。

今年の夏はオリンピックを良く観戦した。観戦出来る時間の多くを見知らぬ競技を敢て選び観戦をした。自分にわかるのかな?という疑問からなのだけれど、実は解説者の評価をしていたのかと錯覚するくらいにその存在は重要だった。クライミングやカヌー、トライアスロン、Xゲーム由来の競技はもちろん、これまで先ず観る事のなかった新体操まで楽しんでしまった。新体操の団体は特に素晴らしかったなー

カーリングは先日も書いたけれど、実にマイナーな競技なので以前ならオリンピックでも深夜にひっそりと放送される競技だった。国内大会でも昼間に放送されるなんて考えられなかったのに、ここまでメジャーのなっているのは選手の活躍もあるのだけれど、やはり解説者の存在が大きいように思う。

解説者というのは案内者なのだと思う。

バレエのコンクールを眺めて面白かったので、無知にも関わらず書いてみようと思い立ったわけなのだけれども、「解説者」を考えていたようで、これは実は私の仕事でもあると気が付く事が出来た。『建築』を案内する者でもある。この事を強く意識している。要望を具現にする時、正しく建築を求めるには適切な案内は欠かせない。華やかさやパフォーマンスももちろん大切なのだけれど、そこに捕らわれると基礎を疎かにし、常の生活の場を間違った方へ導きかねない。素敵だけれど住むにはちょっと・・・とでもなれば本末転倒だ。或いは褒めたたえ過ぎて友人識者に一刀両断にされても哀しかろう。

しばしば、私の発言は「背骨を曲げて使えると・・・」という具合にはなる。今は専門用語で逃げを打つことはしないけれど、そういう言い回しは嫌いではない。事例や模型を通じればニュアンスが通じるはずと、理解頂けるまでお話をさせて頂く。『建築』への窓口となる私が間違うとクライアントは正しく判断する機会を失ってしまうかもしれない。設計期間はその後に比べ遥かに短い。私自身は勉強もしたり、実地で1000は超える名建築を実体験をし、自身で設計もしている。刹那になら何も知らないクライアントを誤魔化す事も或いは可能かもしれない。けれど本当に問うのはそれが住宅なら住まわれてからが本番になる。その時に適切である様に考える。クライアントは設計当初はある種の観戦者であり、しかし住まう時にはオーナーとしてプレーヤーにもなる。これは少々極端な表現になるかもしれない。解説として案内し、時に指導者として育て上げる?後半はまだ整理が出来ていないので不自然な話になってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

強く見せる事が出来るらしい。

 

それをテレビで眺めるだけなのに面白いのは考え抜かれた選定基準故になるのだろう。削ぎ落して何もないステージで基礎力を問えば、実は小さな違いが実に大きく個性を表出して見せる事が出来る。

 

 

 

 

の練習場のようなシンプルなもので、

 

 

どちらも課題曲と振付が幾つか決められていて、各々にのある

世界中から選ばれた男女問わず20名程のダンサーが立つ。伝統的なバレエのクラシカル、現代ダンスのコンテポラリーの2部門で競われる。