白井晟一

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最も最近観に行ったのは2018年、東京出張の際にそれが渋谷だったので、少し足を伸ばして松濤にある美術館を訪ねた時になる。白井晟一さんの設計による建築だ。私が学生の時に既に古い建築でもあり、今も変わらず在る。

先日はテレビの美術番組にて放送があった。今月はこの美術館で展示が組まれているらしい。時期が時期なら、きっと行っていたかもしれない。

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その前は2015年、これは善照寺。この10年前には東北にある建築群を巡り、浮雲に泊まりもした。つまり、学生時代からの私のアイドルだったわけだ。

日本の建築文化の主流はある。けれど、それが全てではない。モダニズムのスタイルを求め広がる世界もあるけれど、日本の古くからの空間性、モダニズムが削ぎ落した落とすべきは無い価値の発見、様々が在って初めてバランス出来るのだと思う。

この建築家は私が学生の頃すでに過去の人物であったものの、その存在感は飛び抜けていて一時は相当に私は取り付かれた。取り付いていた?

番組の中で案内者として登場した映画監督の人は、何と言うか、本物の前では表現者にも関わらず言葉は乏しく理解を示せず、自身の軽薄さばかりを露呈してしまい、少し可哀そうな気がした。番組もこの建築家を変人的な扱いをする事で個性を表現しようと試みたように見える。対極で紹介された丹下健三さんと生前に交遊があったのかは知らない。あったのだろうか?興味深い。白井の建築は巧みで精緻と言うよりは武骨で強い。もちろん、拘りのディテールはあって、当時だから可能だっただろう精緻さはもちろんある。施工者は泣きながら仕事したに違いない。区分するならモダニズムに違いない。和洋折衷とは聞く。確かうろ覚えでは磯崎新さんが海外に紹介した事があったように記憶している。好反応ではなかったとも。

建築を知るのは写真が多い。学生の頃には建築を少なからず観に行った。写真ではカッコ良い建築が実は軽薄なだけということが常だった。案内者の映画監督のような感じかもしれない。私はそういう心無い建築を信じる事が出来なかった。行く末がそういう建築を求めるのなら違うと感じもした。

中には優れた建築も隠れていて、それを探すのは自分の目を鍛える上で楽しい体験でもあった。その中で既に古い建築の中に二人の偉人が居て、それが村野藤吾白井晟一であった。彼等の設計は常に面白く興味を覚えた。写真では到底、写す事の出来ないスケール感に溢れ、心に障る仕組みが詰め込まれ、不思議を体験させられる。

最初の写真は松濤の住宅街の中にある。松濤は丘陵になっていて、そこに上手に巣くっている。低層の建築が覆う丘陵に馴染み隠れているのに、その前に立てば恐ろしく巨大な姿を現す。2層か3層の建築の並ぶ街並みに、一面が重い石で聳える上に巨大な庇が街の稜線となっていた。それが凹状に湾曲して引き込むアプローチ、威圧するのではなく圧倒的な抱擁感に包み込んでしまう、巧みなスケール感で存在していた。

お寺の事例は、建築はとても小さい。しかも、低層の建物の並ぶ街中の区画の中にあり、通りからは見えない。細い路地の奥にあるのだけれど、周囲の雑踏があればこそ、突如として静寂に心に向き合える空間を達成してしまっていた。

番組で案内された建築は、私は学生時代に訪ねている。相当に本気だったのだと思う。北海道から九州は佐世保まで、良く行ったものだ。突然訪ねて来た右も左も分からぬ学生を相手に、いつもこう案内されているのだろうなーという手際良さで丁寧に案内下さったのは今も覚えている。大変に有難い。


番組の最後に、東北の住いにてオーナーの奥様が、「ここで死にたい」と話されていた。これが核心ではないかと思う。優先順位は様々で良い。それが住宅の場合、私には一つの選択肢として、死に場所足るに十分な「家」の設計を住宅の時には常に考える。この重荷を捨て去れれば、軽く楽しく映えるものをと出来るだろうなと思う。けれど、人の住いとは最後まで支えられる空間であって欲しいと願う。

建築家先生とは呼ばれ、番組で案内されたような振舞も嘗ては誰しもに聞き及ぶ。演出をするのなら、対面する時は薄暗い部屋に招き、唯一の窓を背にして後光が差すかのような位置で背を正して臨めば、ハハーって具合になるのかも。

一度、初めて設計した会社社屋でそのような窓レイアウトを試みた事があったのだけれど、オーナーはウロチョロと動き回って止まらぬ方だったので、全く意味をなさなかったな。

実際に体感し学んだ事はとても多く、いつも設計の際は参照をする。もちろん、真似る事はない。理解はその方本論、そこから何が構築できるのかは試す。そういう手本とした過去の建築はとても多い。今は一つには絞る事はできないし、私の出来るのは私の理解から導く方法になる。同じ建築を観て影響を受けたのかな?と思う建築でも理解が違うと正誤が逆になる事がある。高窓採光を室内に導き明るさを招くべきところを、方位を逆に設けて陰影を強くしていしまっている事例など見れば、私には不思議に感じられる。

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これは横手市にあった病院の外装。今は取り壊せれ失われた。

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これは番組でも案内された湯沢の酒造会館。訪ねた時は既に倉庫のような扱いで、実際とても古い建築だった。なにせ厨房には竈があった。ガス台などでなく「竈」があった。それ程に古い建築で、酒樽が積まれ倉庫かな?という具合にも関わらず、一見して直ぐに空間の気品に感じ入るしかなかった。古いかどうか等関係はなく、気品を始めて実感させられた経験は驚きだった。「そういう設計をして下さい。」などとクライアントに請われれば、恐怖しかないな。

驚くには写真にも写っている窓、訪ねた日は曇り空にも関わらずホールからはグレアを起こしていた。室内の陰影のコントラストから生じる、ロマネスクの教会建築に見られるような印象的な窓がインテリアを構築しているのに、階段は照明無しで歩けるだけ明るい。明るさは写真の窓とは逆かつ上方の、北側高窓からの採光が助けていた。訪ねた日が偶然にそう見えたのか、計画出来ていたのか分からないけれど、自然光をあそこまで計画出来ていたとすれば恐ろしい。

光は好きでこれまで延々と考え取り組んでいるものの、あの光環境を自然光のみで再現出来るか問われれば、挑み甲斐がある。

今はもう多くが失われ、残る建築も限られている。設計を志す者なら今も名を知らぬ者はいないはずだけれど、実際に触れた事のある者は少ないに違いない。設計人生のスタート時に気が付けた自分が幸いだったのかどうかは分からない。旧友には随分後に、あの頃に私が騒いでいた理由が今分かったよ、と聞いた事もある。何を学び理解し実践するかは別の話、知った上で設計に取り組むのなら疎かには出来ない。

興味を抱かれた方があれば、遊びに来て頂ければ写真はたくさんあるので、あれこれお話が出来、実践例も紹介が出来ると思う。これから創るのなら、良い方がイイ。私はクライアントを叱りつける事はないけれど、一緒に考えて行けるだけの案内を欠かさない様に務めています。設計時の物語は多い方が、後に語る逸話にもなれるし、設計時は労は多くとも有意義、下さなければならない判断の材料となり、往々にしてそれはとても楽しく有意義だと思う。建築行為は冒険に似る。構造や断熱、機器の性能は満たすのは必須として、どんな楽しさを優先し求めるのか?探求こそが真髄だと思う。

触れる機会だったので、つい、長々と書いてしまった。少しして読み返し、恥ずかしく穴を探す事態なら、消してしまうかも。