『Good Will Hunting』

久しぶりに心揺さぶられる映画を観る。

Good Will Hunting、主人公はWill Huntingなのでウィルハンティングさんは良い人だ、という意味になるそうだ。ただし、好意をgood willと訳す事も出来る上に、hunthingは狩るという意味もあるので、好意を探している、とも訳せるらしい。検索して見つけたサイトの解説を読めば、とても意味深なタイトルのようだ。

人と人が出会い、何かしら関係が築かれるのだけれど友好的とも言えず、常に軋み、時に壊すような緊張に満ちる。彼と出合い関係した人達は皆、立場は様々だけれど各々が彼と真摯に向き合い、気付けば彼は踏み出す切欠を与えられるだけ十分に支えられていて、建築取り壊し現場の様な荒涼とした世界に見えて実は好意にも満ち見守られていた。エンドロールは彼の乗る車が一路、踏み出した先へと走るのが映る。その車が遠く離れて行き、カーブの先に消えたところで映画は終わる。


観終えた後、書けそうな気がして書き始めてはみたものの、酔っていないと調子が出ないのか、やっぱり、上手く書けない。ただ、書きたくなった映画である事に違いは無い。最近はそう多くは観ないけれど、映画はとても好きで、本とも違う。たまに、こういう良い映画に出会うのは気持ちが良い。何度も観た映画だけれど、新鮮に心を揺さぶられてしまった。

きっと自分も、周囲に見守られて一歩を踏み出したに違いなく、誰かの一歩の切欠になれる周囲でありたい。






精神科医役で出ているロビン・ウィリアムズは芸達者な役者さんだったけれど、先生役としては『今を生きる』も忘れ難い。この映画の中では主人公の心を開かせる難しい役を演じていた。数学の天才児にして問題児を演じたマット・デーモンはギラギラとした目で対面する誰にでも鋭い刃で急所を的確に突く狂気を演じつつも、常に俯瞰して相手を手に取る頭の良さをも感じさせた。出会いから壮絶で、とても関係を良好に出来るとは思えない殺伐とした会話が飛び交う様は、会えばどちらかが必ず傷つきそうな緊張に満ちていて、これが涙を流して抱き合うまでは、とても描き切れない様に思えた。「医師と患者の一線を越えた?」の質問に「尻を撫でたらな」という切り返しはのセリフは笑いを誘い、友情関係を互いに認めたシーンだろうか。

親友役のベン・アフレックとマット・デーモンは幼馴染でもあるらしく、マット・デーモンの書いた本を二人で仕上て持ち込み、この映画となったらしい話は有名だろうか。後に二人共アクション映画でも大活躍で、火星に撮り残される映画では、そえがマット・デーモンなら何とかしてしまうのだろうなーと思える程だった。
この親友が劇中は最後に話すセリフも印象的で、毎朝迎えに行き、戸を開ける前の10秒が楽しみだ、というような事を話す。今日は居ないんじゃないだろうか?と想像すると。とうとうその朝を迎え、家の中を覗き込み整理された部屋を見て、立ち去ったのを実感して見せる笑顔も印象深い。

事は数学、フィールズ賞を受賞した先生が彼の才能を愛する事に端を発する。『ビューティフル・マインド』もそうだけれど、映画ではしばしば「数学」が描かれる。この描かれる数学がどこまで正しいのかは分からないのだけれど、少なくとも自分が学校で学んできた数学とは根は同じでも別のもののように感じられる。





未知の世界を知る術として数学は使われる。一般には、生活に必要な知恵として学校で学ぶ。自分も大学受験の時は、とんでもなく高難度な問いを解く事が出来た。ただ、学校で学ぶ、受験で使う数学とは無限の世界から切り取られた、評価する方もされる方にも都合の良い100点満点の小さな範囲に限られる。だから、映画で描かれる数学は実に都合よく未知の世界が描かれているようにすら見える。

算数が数学となり、初めて「楽しい」と思えたのは中学の幾何学の証明問題だった。正解は一つ、ただし方法は様々多数だった。たしか、星型の頂点の内角の和は180度を証明する問題だったと思う。最も簡単に的確に解けた・・・あの時は実は父親にヒントをもらったのだけれど、初めて学問に触れた気がした。あの証明、覚えているだろうか?

自分の設計は、証明問題を解く過程をなぞるように思う。それでも情感はあって、決める際は必要になる。バランスしつつ一線を失わない事が大切だ。この映画が好きなのは、きっと切欠に数学が割と適切に使われていて、恋愛を含む様々な友情が描かれ、未知への一歩を踏み出す無垢なシーンが描かれているからだろうか。観てから数日経過しても頭に残り、あれこれ思う。