イチョウの葉。

春の木々の探索、最後は『イチョウ』を。


硬そうで、まるで枝の一部に見えるのに「色」はついていて、枝葉の構造はカツラにも似る。但し更に独特で個性的、より古いタイプの落葉樹に違いない。劣勢で多勢ではないものの確実に存在するのは成功したタイプだからなのだろう。

春の曇りの夕暮れででも、可愛らしい。



開き切らない筋ばった硬い葉は未だ小さく、何かの「記号」の様。


カツラとは違い、互い違いに葉を付けている。
洗練された構造は圧倒的で有無を寄せ付けない凄みがある。対して古めかしいデザインには感情を挟む余地があり、根源的で、別の何かに似ている様にも見える。太い枝は幹線道路、そこに枝葉の如く取り付くヴィラと仮定すれば、このようなプランは北欧にありそうだ。他にも何処かで見た事があるような形態。完成されたデザインは繊細で完結し唯一だけれど、根源的な古めかしいタイプはその後の応用も感じられるので、そう感じてしまうのかもしれない。


特徴的な葉のデザイン、イチョウだと直ぐに分かる。


もう少し早くに観察していれば、その変化をもっと楽しめたのだろうな。

あまりに身近な植物、自分次第でこうまで楽しめるとは!驚きの春。


※以下はネット調べによる。
イチョウ裸子植物となるらしい。つまり、大きくは松と同じグループになる。対になるのは花を咲かせるような被子植物。松と同類ながら落葉性がある。落葉するので被子植物かな?と思えば、松類とは似ず広葉樹とも明らかに違い、デザインには唯一のオリジナリティがある。

葉の形状や全体量を思えば「洗練」を思わせるか紅葉を含むカエデ類のデザインは素晴らしい。素直に「綺麗だなー!」と実感させられる。けれど、イチョウやカツラの個性には捨て難い魅力がある。「個性」という意味では唯一無二の存在でもある。自然は人が越えられない完成されたデザイン世界に違いないのに、その中でも競い残るオリジナリティーに興味は尽きない。

ここまで、あから様な個性を見せるのに無駄なく合理的・・・違うな、素朴と言って良い程に洗練されない姿を許容して得た成果に興味があるのかもしれない。分かり易く構造的な姿に興味を覚えるのだろうか?そこには、生きる強さを感じさせられる。生命力、これを視覚化させているとも言えるかもしれない。

設計では「洗練」は必然、葉のデザインの良いカエデの類や、仕組みや構造の明快なデザインのナナカマドは極めて優れたお手本なのだけれど、不器用で武骨にも関わらず理には適っている古めかしいデザインのカツラやイチョウは魅力的だ。隙だらけで感情を差し挟める余地があるからなのか?

身近にある手本は数千か数億年の年月を経て得た成果、数十年しか生きない自分には理解を超えるけれど、観察し学び想像するには丁度良いのにで、時々は森か林で空を見上げて葉っぱを眺めてみよう。救われるかもしれないし。