【2024年 春の縄文探検】その④【知里幸恵 銀のしずく記念館】

知里幸恵さんは名を聞いた事がある程度でまるで知らない。彼女の生家にある記念館をこの機会に訪ねた。まるで知らない事は訪ねるのに失礼ではないか?とは思いつつ、そこは思い切って行く。



建築は質素、素朴で来訪者の気持ちを邪魔をしない小気味よい空間があり、ここに様々の展示が展開していた。知らずに行けば、10分で出て来れる程度かもしれないのだけれど・・・我々は庭巡りも含めると2時間は滞在したと思う。実に楽しい一時でした。

当日は理事長が展示を終始案内下さった。彼は博識でアイヌの文化にも造形は深く、行く機会があれば是非、事前に連絡してお願いしておく事をお勧めしたい。都合が合えばきっと、楽しい解説を頂ける。


これは有名なユカㇻシマフクロウの冒頭、彼女が残した肉筆のノートの写し。私は書かれた彼女の「文字」の実に整った綺麗さを見て、直ぐに信頼のおける人だと確信してしまった。左はアイヌ語の音をローマ字表記しているのだけれど、この筆記体が実に美しい。手本のような、その様なフォントがあるのかな?というくらいに綺麗だ。

字は体たいを表す?

ん・・・最近は全く字を書いていないので実に怖い言葉だ。
実は国立アイヌ博物館では弟の知里真志保さんのノートを見たのだけれど、姉よりも、やや可愛らしい文字を書かれていて面白かった。



発刊されたユカㇻ。やはり左に音をローマ字で、右に日本語訳が掲載されている。

あたりに 降る降る 銀の水
あたりに 降る降る 金の水

当初の訳に対し、シマフクロウの神様がコタンの上の飛ぶ際に降るのは水ではなく、湖から上がって来たのならむしろ滴?

銀のしずく 降る降る まわりに
金のしずく 降る降る まわりに

と訳されるに至ったらしい。ユカㇻは唄い継がれたもの、「降る」とはアイヌ語「ran」、唄では「ranrann」と二つ続きリズムを取る。これを「降る降る」と訳したのは実に気持ちが良く、「水」ではなく「しずく」とし、語順も調整が施され実感に最も近い訳に至っているように見える。この作業は正に洗練。どちらの訳でも意味は伝わるのだけれど、情景は後者の方が明らかに素晴らしく伝わる。まさかフクロウの飛翔がこう表現されていたとは。


幸恵さんに才があっただけではなく、様々な幸運な出会いと、家族に恵まれた事を知った。祖母のモナシノウクさんはユカㇻの名手らしく、娘のマツ(養母)とナミ(母)の姉妹は優秀で函館で学び、マツは伝道師として平取や旭川へ行く。二人の弟は優秀で、次男が真志保となる。本発刊に至るにはかの有名な金田一京助との出会いがある。そして驚くべきはマツとナミはバチュラーと出会っていた。函館で学ぶ機会とはつまりイギリスの宣教師との出会いがあったからになる。

ちなみに金田一京助にモナシノウクの存在を知らせたのはバチュラー(又は姪?)だったらしい。

幸恵さんの父は戦争にも行った軍人であり牧場主であり、写真を見れば良き人。恐らくは家族の中で最もアイヌ的北海道人の大らかさの持ち主ではなかったのではないだろうか?悲劇のヒロインとして語る事も出来る幸恵、その母と養母、祖母ではあるけれど、父親やその系譜もまた、彼女にとって欠く事の出来ない大切な家族だったに違いない。

2018年の縄文探検では有珠を訪ね、そこでバチュラー教会を訪ねている。


偶然に居合わせた信者の方が博識で、非常に多くを長々とお話下さり、とても印象深い。バチュラー牧師は聖書のアイヌ語訳をとは知里家と縁深いらしい。

2023年の縄文探検では北大植物園にあるバチュラー記念館も見ていた。


過去の経験がこうして結びつく出会いになるとは、とても嬉しい。



文字を持たぬアイヌ語を表記するには「音」を正しく記述できるアルファベットとの出会いが欠かせない。日本語では当て字になってしまう。ユカㇻの名手の祖母、優秀な姉妹、この姉妹がバチュラー牧師と出会いローマ字を習う。マツの娘、幸恵はその環境で育っている。

バチュラーさんのアイヌ語辞書ではユカㇻは『yukaraとされているらしい。金田一京助もこれに習うものの、幸恵は音を正しく聞いていて『yukar』が正しいと告げるらしい。末尾の母音『a』は要らない!?驚愕の京助だったのだろうな。



と言う事で、すっかり興味を抱いてしまった事もあり、この機会に一度はひも解いてみようかな?と図書館へ行き、4冊の本を借りてきて今読んでいる最中。

①『知里幸恵物語』金治直美
②『ほっかいどう百年物語 上巻』
③『金田一京助アイヌ語』大友幸男
④『銀のしずく降る降るまわりに』藤本英夫

①は伝記で小学生向け?直ぐに読めるので大筋を知るには適当かも。
②は金成マツ、幸恵の養母について詳しい。幸恵の意思を継いで後にアイヌ神謡集に多大な成果を残す。ちなみ姉妹揃って紫綬褒章を授かっている。
③折角なので金田一京助視点も知りたかった。弟の知里真志保とは散々やらかしたらしく、傍からは親子喧嘩の様相だったとも。ちなみに国語辞典で数多くに名を刻むものの実は使われただけで、取り組んだのは一冊だけだったらしい。しかも生粋の遊び人である啄木とは親睦深く・・・
④は読んでいる最中。詳し過ぎて追いつかない。



■リンク:【2024年 春の縄文探検】