博物館にはガイド?案内?係の人?に大勢の若者がいた。彼等は元気が良く、彼等は堪えず声掛けをしていてアイヌ語で挨拶を下さる。何より良いのは、質問に的確に応えられる知識、スキルのある事だ。これは素晴らしいと思う。
開拓記念館に通っていた頃はやはり、案内をお願いすることが出来た。難しい質問をしたい時は学芸員に登場頂く事も出来た。
質問?これはどんな幼いものでも良いのだと思う。博物館で実際に何かを前に感じた事をその場で聞けるなら助けになる。その後に興味を膨らませる切欠になるかもしれない。分からないままにしてしまうと、その興味は萎んでしまうかもしれず勿体ない。
①『鳥を獲るための仕掛け罠』
再現された模型は縄と小枝を組み合わせた小鳥獲りの仕掛け罠。手順書があるのだけれどなかなかに難しく、とある父娘さんが悪戦苦闘していた。するとガイドの方が駆け寄りアドヴァイスをする。無事に捕獲に成功し、父は何となく威厳を保てた様子。
興味深いのは籠を落として捕獲するのではなく、地べたを這って来る鳥の首を押さえつける構造、なかなかに巧みだ。ガイドの説明によるとこれは、子供が大人になるための試験の一つとして使われていたという事だった。
つまり、自分で獲物を狩るスキルを身につけられるか、どうか。
そう聞いた娘さんが「私も狩に行きたい」などと言い出し、集った人達で笑い声が起きたのであった。まぁ、確かに実践してみたくなる巧みな罠でした。
②『木製品を加工する』
これは祭事につかうイクパシー。私の長年の興味は、これをどのような道具で製作するのか?だった。加工には当然、鉄製品が必要になる。実演は殆どの場合、彫刻刀を使う。この彫刻刀が道内に普及したのは何時だろうか?
古い遺物を収蔵する平取の博物館では彫刻のない木製品が数多く展示されている。けれど一般にアイヌ製品として展示されているものは克明に彫られたものが望まれる。果たして?
工芸体験スペース?での事、質問の機会を得た。アイヌの人が使う小刀「マキリ」一本で加工が出来るのか?と実演している方に聞けば・・・その瞬間に目を輝かせて「はい」と、その返事は力強い。
更に奥から登場してきた若い係の方は、自分がマキリ相当の小刀で制作したものと、室内に展示されている写真の3つのイクパシーを自慢された。刃入れの深さはミクロン単位で一定である事を計測で確認した事があるらしい。
その方は平取の方で、彫刻刀は昭和30年頃まで手には入らなかったとも話されていた。
③『マキリを意中の女性プレゼントする。』
これは私が想像していたストーリー。手の込んだ彫を施した柄の小刀をプレゼントする事があったのだろうか?と尋ねると、その事実はあったようです、と答えられる。
中には数年も掛けて彫り込んだものを意中の女性に贈る事もあったとか。翌日はドキドキの瞬間で、身につけてくれるのか、どうかで一喜一憂したらしい。見ず知らずの人に突然渡すわけではないので、断られる事は無かったようだけれど、想像物語は現実だった。
一つには、その彫刻が見事であれば生きるスキルのある事の証明になる。日常の道具や狩猟の道具を確実に作れるスキルでもあるので。
④『刺繍の材料や道具はどう調達したのか?』
どいやら松前藩との交易で得たのは間違いないらしい。衣服の展示はしばしばあるものの、施された刺繍は実は布や刺繍糸、製作には鉄製の針が必要になる。道内では蚕を飼って、綿を育てて、鉄製品を製造して・・・と言う事は無かったので、不思議に思っていた。残念ながら何時頃から普及したのか?は聞き忘れた。かなり古くから交易していたとも聞くのだけれど、文様が発展したのは案外に近代なのではないかと想像している。
経緯経過成果を時間軸上で知りたいな。
⑤『漆塗のイクパシー!?』
展示の中に漆が塗られたものがあった。道内でも漆を塗ったものは有るらしいけれど、展示されていた美しいものは本州へ交易に行った際に仕上げてもらったものらしい。これは知らない事実だった。驚いた。
どのような経路で誰を伝い、どのような職人に依頼をしたのだろう?疑問は更に広がる。
取り敢えず覚えている一部を列記してみた。様々に質問させて頂き教えて頂いたのだけれど有意義、実に面白かった。実は他にも疑問が幾つかある。それらは次の機会にしよう。
■リンク:【2024年 春の縄文探検】