井上道義さん指揮による札響定演は実際に体験すると、楽しんだのは事実なのだけれど、それが果たしてどのような価値があるのかを計り切れず、数日たっても謎のままであった。
おそらくは、その意味を正しく説明が出来、聴衆が対価として認められる空間を提供できるなら、何をしても良いのだと思う。これは設計も同じだ。普通は!一般的には!は言い訳でしかない。何をしても良いのだけれど、その責任は負う。負う以上は何でもする。
そこそこは挑戦の舞台だったに違いない。そもそも現代音楽は聴き慣れず、それは多くの人にとってもそうだったに違いない。だからと言って純クラシックなら分るわけでもない私ではあるのだけれど、何にも調和せず旋律となる事のない音が集まり圧を高める時の興奮は、ちょっと忘れられない。果たして奏者はどのように思われたのだろう?感想をお聞き出来る機会があれば良いのに。
例えられる建築をまるで想像できないのだけれど、案外にそこらの日本の町並みなのかもしれない。欧州の街並みはどこも秩序が感じられる。数年前に訪ねたアジアは混乱に近い場所も少なくなかった。日本は?綺麗に秩序だった混乱がある。隣り合う建築が呼応したり調和を生み出したりもしない。
今は近所でもあり、思い出したように稀に訪ねる音楽専用ホールであるキタラなのだけど、この日の公演の合間の休憩は30分もあり・・・眺めて悩んだ。
大ホールのホワイエは巨大な空間だ。2000人規模のホールへの動線を担うべく動線の円滑化に特化してしまい『人の集う場所』には程遠い。ホールの壁際(写真右側)には椅子が並べられ人が座っている。何か疲た人達が目に入ってしまう。
ここに『人の集う場所』が生じ、それが『社交の場』となり、人と人が語らるスペースとなるのなら『文化』も生まれるかもしれない。折角の施設、高価な施設、人の集まる施設、期待してしまう。
ロビーから使える中庭はフラワーポッドも綺麗に整えられ、パラソルまで設けられ充実し写真写りは良いのだけれど、それだけのスペースだ。
実は同じ悩みは札幌市街も近い。容易に休む場所に欠ける。どこかの店舗に吸い込まれるなら別として散策を楽しむ風は希薄ではなかろうか。大通公園は良いけれどイベントがあれば人混みで立ち入るのは悩む。
キタラのホワイエやロビーにコーヒースタンド配置は難しいだろうか?
今はロビーに自動販売機があるのみ。大ホールのホワイエのバーカウンターは行列だった。設置には水廻り設備が必要となりコストは掛かるだろうけれど、常設であればなーと思う。レストラン運営は公演中に珈琲スタンドも運営する事は難しいのかな。珈琲とエスプレッソ、ワイン、ビール。軽食はケーキとサンドイッチ。カフェテリア・スタイルならどうでしょう?
サンドイッチがあれば軽い昼食で使えるし、ケーキがあるなら午後の一時を!も出来そうな。若かりし頃に歩いたヨーロッパ、「駅」なら必ず何かがあった。大抵の美術館は巨大で午前中に入っても昼には出て来られず、中途にあるカフェは本当に重宝した。実際、そこで出会った方に翌日に市内を案内して頂いた事もあった。今の札幌の中では、店舗に吸い込まれ人以外は、僅かな座れる場所に疲れた人達の印象を拭えない。
まぁ要は、ボレロが聴けると稀に訪ねた私のような人が、この公演は何なの!?と思った時に語らう人達が居てくれたなら・・・こっそり話を聞けるのに。その時に珈琲かビールでも持っていれば居心地は出来ますし。楽し気な雰囲気、これが欲しい。それがキタラなら?ちょっと気取った楽しさがあると良いのにと思いました。