キタラでPMFアンサンブル


■G.グリゼー:石碑
ラヴェル弦楽四重奏曲ヘ長調
■D.アンダーソン:コントラバスのための7つの二重奏曲
■シェルホフ:フルート、ヴィオラコントラバスのための小協奏曲
■J.ペレイラ:マレット・カルテット
リゲティ木管五重奏のための6つのバカルディ


日頃からクラシックを嗜む・・・はずもなく、けれどライブで聴くのは何故か大好きで、オーケストラも良いのだけれど小編成のキタラの小ホール規模での演奏会がとても好みだ。

外の喧噪から切り取られた中島公園からアクセスし、導かれるホールは完全に外と切り離された音の空間がある。隣の人の息が聞こえる程に静まる中で奏でられる音が直に伝わる。バスドラムの縁を撫でる静かな音も耳や心をざわつかせる。

以前は無料のオープンドアコンサートが、この小さなコンサートになるのだと思う。でもやはり、以前の方が楽しかったと思う。集まった若い音楽家が何をしているのかを垣間見せてくれる機会だったオープンドアコンサートは、完成された音ではなく若さを発散するような場ともなり、自身が手にした楽器を使って何を表現出来るのか?を魅せてくれたように思う。

その意味では静かな印象はあるのだけれど、選曲は近現代曲だったので興味深く楽しませて頂いた。バスドラム?のデュオやコントラバスのデュオは楽しかった。4台のマリンバ?のステージも良かったのだけれどもっと弾けて欲しい気がした。

何と言うか、完全に外から切り離された無(音)の中で発せられた音にのみ集中する行為は、サウナで熱さに耐え無心に至るのに似ている気がしたのは何故でしょう。

日常から切り離された音の世界は特殊で特別、自分自身は雑念を帯びて席に座るのだけれど、クリアーに伝わる音一つに感じ入る環境では敏感に音に集中が許される。そのように集中出来る世界が貴重なのだと思う。難しい事は分らないのだけれど、そこはライブ。音を聞けば良い。その音がどう発生するのか?その過程を目の当たりに出来る。実体験する事の意味はライブでしか確かめる事が出来ない。「生」の音に触れる。



本当はリーチ・マイケルを札幌ドームで観る最後の機会か?ラグビー代表戦を目論んでいた本日、数日前にチケット眺めると当日券はあるだろうなと思っていたのだけれど、昨晩は突如の変更への対応で徹夜となってしまう。更には協議なしでは先へは進めない非常事態である事が判明してしまった午後2時半、自転車で5分のキタラへ向かった。残り数枚の当日券があったのは幸運だったのかもしれません。


何度か行けるかな?と毎年考えるPMFなのだけれど、夏は毎年悩ましい季節で結局、殆ど行けないのよね・・・