徒然

【 2020.06.20 
仕事が終わらない。終われない、多分終わらせられない。
PCに向かって仕事を続ければ終わる仕事と、悩み続ける仕事がある。悩む仕事の際は、時間よりも集中力が必要になる。集中がなければ想像が出来ず、創造的な仕事から離れてしまう。反射的に出来る仕事と違い、頭を使うと途端に糖分が足りなくなるし、脳の活動限界まで至れば身動きも出来なくなってしまう。脳の休息は睡眠が最適、しかし、寝ては作業に必要な時間を失う。恐ろしくジレンマを感じる夏の朝、夏至まじかなので、本当に恐ろしい程に南から昇る陽が早いよ。早すぎる。もう少し遅くなってくれれば、時間があるような気がして余裕が出来るのに。


【 2020.06.19 
先月の、音のない世界は失せ、日中に適度な騒々しさのある世界へ移行した。南にある高校のグランドからは体育系の部活動の掛け声が聞こえはじめ、今日は北にある高校から吹奏楽?の音色が響いた。実に久しぶりの音だった。

街の喧騒を聞いているわけではない。けれど耳に馴染む。消えると夜であり、休日であったりする。変化する。変化のない無音の世界は、少し恋しく思わないわけではないけれど、週や平常の自分自身のリズムを作り上げている事に気付いたと以前に書いた気がする。学生達の立てる音は中でも特殊で、騒々しさは一際なのだけれど、最近始まった水道工事の音とは明らかに違い、元気が漲っている。それがガヤガヤという音だ。ただ、分散登校なのか寄り道は制限されているのか、まだ小さなガヤガヤと時々だ。

路面電車のモーター音が響き届くのだけれど、音のない世界では無人の中で遠慮がなく異様に聞こえた。今は少し馴染むのだけれど、記憶に残る嘗ての音環境の差異をまだ受け入れ切れていないみたいだ。

吹奏楽の音、たぶん自分の聞いているのは毎年違う生徒が吹いてるんだろうな。風向きにもよるのだろうけれど、管楽器は流石に音が通るので聴こえる。聞いているわけではないし特別に意識しているわけでもないけれど、単なる騒音にも聴こえずに暖かい季節の夕方の環境音と認識している。


【 2020.06.18 
建築事前相談のために、久しぶりに道庁へ行く。密度の高いスペースなのだけれど、更に密に見えたのはあちこちビニールで仕切られていたから。よく見れば手作りだ。部署や課毎に仕様は違うようだ。何を使いどう作るかは任されているのだろう。ホームセンターでアレコレ探したに違いない材料。適当な重さのあるプランターの棒を下端にしてビニールを吊り下げてみたり、パイプを組み合わせて対面デスクの中央仕切りにしてみたり。
こう思うと、スーパーのレジなどの仕切りはどこもかなり綺麗に作られているように思う。手作り感のない綺麗なところが多いと思う。

随分前、感染者の出ていなかった鳥取県だったろうか、の役所を取材したテレビを観た。ダンボールで仕切りを作っていた。その手作り感が楽しく、対面の人と会話するのに小窓を開けた時は正直、笑った。真剣なほど微笑ましくなってしまうものなのかな。

戻ってから石鹸で手を洗うのはすっかり習慣になっている。そして、外から戻ると案外に汚れていて石鹸の泡が土色になる。夜はまだひんやりとするな。