第4回 本郷新記念札幌彫刻賞受賞作品 展示

本郷新賞の彫刻作品はこれまで大通公園4丁目の地下街に展示されていた。本当は、通りのど真ん中に置けば良いのにと思うのだけれど、壁を背にした階段室ホールに設置され、それでも多くの人の目に触れたに違いない。それが昨年から方針を変え、札幌芸術の森施設の中庭に3年設置となったらしい。この初夏から公開された彫刻を見たいとも思っていて、先日は『水木しげるの百鬼夜行展』に行った際に眺める事が出来た。



作品は、藤原千也さんの《太陽のふね》。

とても巨大な彫刻だった。人と関係する程に大きく、それは長く、黒く、しかも中に空間を孕む、建築で再現出来そうな程に造形はシンプルでいて、不思議な存在がとても楽しい。

これほど巨大なのに、知らぬ人は黒くて大きなモノがある?としか思わないかもしれない。けれど、一度知ってしまうと、あと3年はたまに訪ねては触れ、空間を体感しておこうっと思うくらいに印象的だった。



晴れた日に行けば、もう少し良い写真が撮れたかもしれない。まぁ、この日はスマホでのみ撮る。彫刻の外装は黒い木材で覆わている。



彫刻は巨大だ。



開かれた「口」、その小口は木が積層されている。



この横たわる幹の中は歩ける程に長く広く、先には天空に向かってスリットが切られている。方位を考えると、秋の夕方に行けば、このスリットから陽が差し込むはずだ。まるで空洞の木が海に打ち上げられたかのような、その内部に光が地に落ちるのを是非、観てみたいと思った。



臆から振り向くと・・・現実の施設があった。ただ、この積層された木材に囲まれる静寂は、どこに居るのかを忘れさせるほどに体感する実体で、あるのは実に素朴な空間だった。


用途や機能のある建築では、そうそう求めようもない空間体験ができた。芸術作品でもあり、保管できる環境を選ぶなら場所はココが最適なのかもしれない。これまでの地下街スペースでも大きな彫刻ではあったものの広い空間に見合う程でなく、折角の街中で人の行き交う場所にも関わらず、人と関係するのが難しい状況だった。

この彫刻を大通公園に置けば良いのに!と思えてしまう。放置すれば落書きされたり壊されたりするかもしれないけれど、これがあれば子供達は大騒ぎするだろうな。登って落ちたりして責任問題になったりもするのかな。でも、置けば良いのにと思う。



これはドイツはベルリンにある、ベルリンフィルハーモニーコンサートホール前の広場にある、リチャード・セラの彫刻(スケッチ右)。百年記念塔と同じコルテン鋼で作られた湾曲する2枚の板をおいたのみ。人はわざわざこの2枚の隙間に入りたがる。広い広場のに実際、私も吸い寄せられた上に対面からも人が来て、互いに道を除けつつ通り抜けたのは今も印象深い。

彫刻には人を寄せる魅力がある。鑑賞するのみではなく人に関与し、遊ばせてしまう装置にもなれる。例えば札幌駅にある安田侃さんの彫刻は今や待ち合わせ場所になっている。子供なら穴を潜り抜け、疲れたからはそこに腰を掛け、待ち合わせではその周辺に屯する。人の性、見事に。

きっと太陽のふねも大通公園にでも設置されれば、人は気付かずにそこに屯するに違いない。出来れば、幹内末端には子供なら出入り出来る程度の開口が欲しい。子供が壊れたおもちゃのようにぐるぐるまわるに違いない。キャッキャッと楽しい声が聞こえるはずなのに。

設置すれば前述のとおり様々な問題は生じるはずだろうけれど、理解を得るには経験を欠かせず、数年もすれば間違いなくランドマークとなり知らずして利用する人々が現れ、それが日常となる光景は望ましい。