自分の設計した空間を、実際に使う。

音更のお寺は、二週間後にいよいよ仏様が座られる。
苦心の内陣の設え、昨日届いた仏具工事業者からの報、
「これでどうですか!!」という気迫が感じられた。
とある要のフレームは、これまで何度も描き直しては
検討をしていたもので、それが最後の製作図のものが
最も丹精に至っていた。洗練できていると思う。
その上、仕上がってきたそれは大変に良いらしい。
今から、その時が楽しみ。

そして、今日は打ち合わせで音更を訪ねた。
主題はこの春、GW後に行われる外構工事について。
札幌の気分で行くと、やはり、道東は寒いよー
陽が照っていても、調子ののって外をウロウロしていると
芯から冷えてしまう。

2時スタートの打ち合わせ、終わったのは6時過ぎ。
既に現場事務所はなく、打ち合わせは庫裡の応接で。
この応接は、このお寺のために考え編み出した秘策。

たくさんのお寺を見学してきて思う事、庫裡は住宅と
して、お寺からは独立したプライベートスペースだった。
一昔前ならば、庫裡にプライバシーは無かったのかも
しれない。けれど今は、おそらくそれではお嫁さんが
来てくれいないのかもしれないなーと思う。

多くのお寺では、庫裡にではなくお寺の中に応接室を
設けて応対をされていた。確かに、その方が間違いない。
公私の区分は明快で、交わる事無く円滑でもある。
ただ、どこか寂しい感じもしてしまう。

このお寺、それまでの建物は古く、そのような応対の
ためのスペースはなく、常に庫裡が使われていた。
・・・生活されている居間が応接になっていた。
住職も坊守も、それが当然として迎えて下さり、
その近しい様、親しい様、安心の様がとても印象的で、
1年もの間、通ったのだけれど、常に庫裡で坊守
淹れて下さったお茶を御馳走になり、おやつを頂いた。

檀家さんもそれが当然という具合に訪ねてきては、
本当に親しげに話されて行く様を何度もお見かけした。
時にそれは「友達」の如くで分け隔てが無かった。
お寺とは本来、こう在るものなのだろうと実感させられた。

そうして育まれたお寺と檀家様との関係を今後も繋げたい。
建築に何が出来るのか?本当に悩んだ。
時に、建築ではそんな関係を繋げつつ、プライバシーも
守れる空間を作る事は不可能ではないかとすら思えた。
まぁ、予算がふんだんにあって、大規模にしても良いのなら
話は別かもしれないけれど、お寺棟と比較して巨大な庫裡を
設計したのでは何が本文がわからなくなってしまうし、
規模バランスを崩さずに予算内で出来る庫裡の規模は小さく、
そこにどう親しみのある応接を創れるか?挑戦だった。
この挑戦は、設計者のみならずクライアントの挑戦でもあり、
本当に相当に時間を掛けて取り組んだ。あれは、長かったよ。

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写真は、その成果。

小上がりの和室を含め15帖のスペースに大きなテーブルを二つ。
椅子は8脚のセブンチェア。クライアントが悩んだ末に手にした椅子。
配置は贅沢極まりない余裕。3時間くらい座っていたと思うけれど、
苦も無く快適、心地良く、ここは間違いなく長居が出来る。
椅子は良く、照明は適切、何の不満があるだろうか?と自画自賛だ。

廊下に接するたくさんの部屋の一つに応接室を設けたという様な
プランではない。庫裡は二世帯住宅ともなっているのだけれど、
庫裡全体のリビングとしてプランをしたのがこの応接スペース。
・・・応接も出来る自由空間と呼ぶべきかもしれない。
各世帯のスペースとは適当な距離は保ちつつ、部屋からリビングに
行く様に各世帯からここに集う様に考えた。
ここまでオープンに設えると、迎えられる方は嘗てのお寺の庫裡の
リビングに訪ねるのに相違ない印象があるに違いないと確信はある。
むしろ、各世帯が近すぎプライバシーを守れない恐れが生じる。
それを解消する玄関の仕組みがあるのだけれど、それは又別の機会に
書こうと思う。戸や壁で仕切らずに満足させられる仕組みがある。
空間は閉じて閉鎖的にすれば、扱いは容易で簡単になるけれど、
その閉塞感は疎外感も生じてしまう。オープンにすれば扱い難く、
創意工夫、何よりここに住まう人の理解と使い方が必要になる。
上手く出来ると、それは隔てなく人を迎える事が出来ると思う。
そう施しつつもパブリックな性格の室とプライベートな性格の室を
区分出来るなら?それは快適に違いない。手品みたいな話だけれど。


自分が設計した空間を、実際に使うという貴重な機会でした。
そして、楽しかった。また行きたいと思えたのは収穫だった。