コンパクトな動線 【光明寺】

音更で設計をしたお寺の住職と、先日は他愛のない会話をした際に改めて動線の短さ』を話されていた。動線の要はエントランスホール、勝手の良さをどう作り上げるか?設計の際は一緒に相当な苦労をした我々の成果 !が今在る。

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お寺のエントランスホール。訪ねた際は住職や坊守がお迎え下さる。その時に『人』が大きく見える空間を考えた。人と人とが出会う場所を大切にする。それでいて3家族程がタムロできる広さはあり、けれど空間は大き過ぎない。

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玄関を入りホールを数歩進むと、40m超の長大な回廊が姿を現す。ホールの天井は高い所で4.5m程になる。回廊の最も奥には阿弥陀様が在り、訪ねた方をいつも見守って下さる。

『スケール感』を備える空間を密かに徹底しては悩み尽くした設計だった。お寺の要となるのは本堂、主役となる『御本尊』に手を合わせお会いするのに相応しい空間を探し求める設計の旅だった・・・内陣の写真はこちら

御本尊は実は、そう大きくはない。空間を大きく造り過ぎると「小さく」見えてしまう。存在感を引き立てるには「大きく」見えるスケール感が必要だ。間違えば装飾性を高め豪華か絢爛に設え耐える選択、しかしそれは、とってもお金が掛かる。

黒澤明の『乱』で殿様が鎮座する場所は、立てば頭をぶつける程に天井の低い空間だった。それ故に人が大きく見え存在感を増す。空間の広がりと効果を心得ていたからこその圧巻のシーンだった。

しばしば書いているにじり口効果』と同じ。ドラえもんの「ガリバートンネル」とも言える。茶室が正にそれになる。茶碗等の道具や床の何かしらを愛でるに相応しいスケールへどう導くか?小さな穴を通そう!と思いついたのは誰なのだろう。素晴らしい。

お寺のスケール感は先ず、御本尊とどう出会うか?から設計をスタートする。本堂の大きさをまず求め、その手前のホールとなる写真の空間の大きさや他のスペースを整え、エントランスからアプローチまでを求める。同時に境内、訪ねる方々を建築はどう迎え入れるか?建築全体のスケール感を考え及んだ。

いつか正しく書きたいと思うのだけれど、設計ストーリーは壮大で幾度か書く事に挑戦するものの、未だ果たされず。何時か、きっと。

と、言う事でここでは「使い勝手」の変遷を案内したい。

【phase:1】旧お寺

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小さな本堂からスタートし、時を経て要望に応え増改築された旧お寺建築は時間の重みを感じさせる建築で新築計画の礎になっている。諸室は満たさたものの計画性は欠き、動線はとても長い。大きな改善ポイントとなった。


【phase:2】最初の頃のプラン
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実施設計に至るまで大いに変遷し、実施に入ってからも悩んだのは、この部分だと思う。全体のヴォリュームを考える上で本堂や納骨堂などの大きな諸室のレイアウトは固まっていたのだけれど、「広間」「厨房」「WC」「ホール」「収納」は陣取り合戦の様相となる。使った建築基準法の条項、加えてコストの問題から面積には余裕がなく、限られたスペースに何をどう組み込むか?試案を繰り返す。

設計では実地調査として1年の間、お寺の行事に参加させて頂いた。来訪者のない平日を含め観察をする。要望だけを伺えば大きくする以外の選択肢がなくなる。大きくすれば想定以外の法の制約も受け、面積増はコスト増に直結する。木造建築の範疇を越え鉄骨造やRC造が必要になれば一気にコストは嵩み、逆に面積を今以上に小さくしなければならないジレンマもある。獲得できる容積を最大限に使う為に、私自身が住職や坊守と議論できるだけ十分に理解をする必要があった。何気に観察させて頂いた日常が極めて重要で、想像以上にクライアントの抱える悩みを一緒に考える切欠を与えてくれる。

広間に屋内縁側を設けて快活にしよう!と言うこの提案は暫く検討のベースとなった。


【phase:3】変遷のはじまり。
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大まかなレイアウトは決まっていたものの、実際にどう使われるのか?をシミュレーションし、幾つものプランを考える。特に大きな行事である「報恩講」と小規模な法事など対極にある使われ方の何れにおいても満足の出来るスタイルを御一緒に探す。

制約故に、何処かを大きくすれば何処かを削る必要が生じる。『優先順位』を探す事に終始する。そこを間違えば元も子もない。


【phase:4】詳細を吟味する。
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決定に至るには諸室の必要規模を正確に把握する必要がある。例えば、本堂の収容人員、内陣での所作寸法、寸法確定済みの納骨壇の設置数など。議論のあるのは広間、法事はここで行うのか、お時(食事)で使う時に人員数、或いは厨房の使われ方と必要スペースと不確定要素も明らかになった。

何か一つを変更する度にプランは全体から検討し直す具合で仕事は果てしない・・・


【phase:5】向きを変えたり、諸室を入れ替えたり。

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本堂は向きを変える事で使い勝手も変わる。「広間」「厨房」「WC」はまとまったスペースなので入れ替えが可能だった。どのように使うか?で配置の優劣は変わるので、ここは再三にわたり検討し議論をした。厨房は婦人会の主たるスペースでお寺運営での中心、玄関に近くの中央に陣取るのは利便性の上ではとても良い。


【phase:6】諸室はどう使われるのか?

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例えば広間はどう使われるだろう?奥まって静かに使える方が落ち着きを得られる良いプランかも知れない?これは大いに悩ませる提案となる。厨房が中央に陣取るのは勝手は最善ではあるものの利便が勝り過ぎ、厳かさとは対極に至るおそれがあった。

機能を優先する事は一般には使い勝手が良く重宝される。けれど実はこの『便利』は言い訳でしかない。正直に言えば便利を優先する設計は容易だ。対して「楽しさ」や「厳かさ」、お寺なら真摯に生死と向き合える空間が望ましい。これはあまりに困難だ。


【phase:7】適正を見極める。

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スケッチレベルでは打合せの場で記したものもあり、もっと様々に検討をする。既に載せたプラン、重ねてみれば驚く程見事に重ならない。小手先の調整ではなく、常に全体の変遷であり、改めて眺めると実に涙ぐましい。徹底する事を諦めなかった証。

大きな懸念は収納量だった。例えば今は本堂には椅子が用いられる。畳に座布団という姿は過去のもので時にはテーブルも使われる。多くのお寺では対応が出来ず本堂の片隅に椅子テーブルが積まれていたりする。立派で高価な伝統的本堂があっても、積まれた様は現実的で凛と出来なくなってしまう。

新しく造るお寺を特別にするには、その「現実」を避ける事は欠かせない。実情や隙を見せずに常に整然として人を迎え入れる事が出来るか?これが焦点となる。『清潔感』のある建築を徹底して志す。


【phase:8】最後に惑わす提案をする。

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プラン決定前にクライアントの判断に揺ぎ無い事を確かめる必要がある。具現し使い出せば誰か彼かが好き勝手を言うのは必然だ。その時に誰に何を言われても耐えられるだけ十分な判断を得ておきたい。指摘に何も言えず後悔するのでは最悪だ。何を言われても凛として自らの判断を堂々と肯定出来るだけ十分に強くしておきたい。

これは『実施設計に入ります!』宣言する直前に提案したプラン。私自身も練り上げ良しを思うプランを提案する。しかしながら、やはり、決定案の方が魅力的だ。クライアントの判断を強くするために、却下されるためだけに作られた幻のプラン。


【phase:9】最終プランを得る。

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設計の際に訪ねていたのは旧お寺建築、比較対象として実地確認が出来たのは良い環境だったと思う。良い面も悪い面も再確認しつつ。とても大きな本堂は畳敷きでもあり、時に座布団をプランに合わせて並べ実際のスペースを確認しつつ設計を進める。

更には椅子やテーブル等の備品類を定量化して収納スペースを確保し、諸室は要望に応える機能性を求め、動線をコンパクトに使い勝手の良さまでを徹底する。そうして漸くプランの確定に至る。

住職と坊守は自分の守るお寺でもあり本当に真摯に考え向き合って下さった事もあり、集中力は切れる事無く最後まで悩み尽くす事が出来た。Phase2からPhase8までに至るのに半年を要している。長期に渡るのは他の検討事項多数でもあったから。仕事である以上は私は最後まで諦めずに粘りとおす。

どうしよう?と決めかねる難題が常に立ちはだかる状況は、打ち合わせをウキウキワクワクに出来ない事が圧倒的に多かったものの、費やした時間は我々の成果を導くのに必要なものだったと思う。

悩んだ甲斐はあり、もっとも洗練されたプランが採用される。最初に載せた写真は『HALL』のもの。よく辿り着けたものだと改めて思う。元のお寺に比べると面積は倍増、けれど動線距離は半減という具合。利便や勝手に特化するのではなく、スケール感を徹底して整え、本堂にて御本尊に出会うため空間、建築。

表題の「コンパクトな動線」、Phase1の旧お寺の動線は同スケール図面では見切れてしまうけれど現状は住宅の中を移動する程度の動線長さで事足りてしまう。大規模な建築にも関わらず諸室をヒョイヒョイと見渡せてしまうのは実に不思議で、空間が都合良く捻じ曲がっているのか?と私自身が驚いてしまう。



・・・先日のお話では、将来の夢希望とお聞きしていた新たな取り組みが催されるらしい。ヨガ教室なのだそうだ。それも持ち込みの企画らしく、その場所として選んで頂けたのは特別に嬉しい。本堂に椅子テーブルが積まれる様では悲しい。利便を欠いては使えない。限られたスペースながら徹底し『清潔感』ある空間を提供できたからこそと思う。

本来なら、この2年は成果評価も含め何度も訪ねたに違いない。それが出来ず控えて過ごし、伝え聞く事は多くなるものの無事であるという報はとても嬉しい。

お寺企画としてヨガ教室も企まれている様子、出歩く習性を無くし酷い運動不足に陥っているので来春には私も飛び入り参加するかもしれない。いや寧ろ、参加しなければならない?かもしれない。