お寺の、ある法要の姿 【光明寺】

お寺の設計では数多くのシミュレーションをした。通常行事においては最大規模の報恩講をどう切り抜けるか?小さな法要はどう使うか?様々を考えた。1年を通じて全ての行事に参加をさせて頂き観察する事を許して頂き、檀家様の皆様がぶしつけな私の問いにも丁寧に応えて下さり、本当に貴重な経験だった。実際に報恩講に参加させて頂く時は設計は佳境、具体的に記した図面が果たして機能するか?試練でもあった。

住職と坊守を交え、相当な議論を交わしたのは印象深い。その時に私は理論のみではなく、実体験から具体的に議論に参加できたのではと信じている。あらゆるケースを想定し、そのどれもにも応えられるプランを得ていた自信が我々にはあった。

なので、この法要も無事である事を疑えなかった。

お斎(おとき)と言い食事の機会がある。今時世では食事を共にするのは避けられているので厨房を稼働させてもお弁当としてお持ち帰られるお寺も多いらしい。この法要では是非にと要望があったのそうだ。

通常は本堂を使う法要を広間を使う。広間にも佛様があり応えられる設えとなっている。住職の判断は受けるなら、より気積の余裕ある本堂でお斎(おとき)とだった。今時期は寒くはあるものの窓を開放すれば換気量は十分、工夫次第で応変が可能だ。

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初めての設えを試みましたと届いた写真に素直に驚きました。御本尊を前に食事の風景があるとは、素敵だ。まるで、この為に設えられたインテリアと思える程に違和感を覚えなかった。大きな場所だったので利用したのではなく、こういう機会のために空間があるかのよう。

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外陣といい、本堂で来訪者のある場所はこの具合。24人が十分な距離を持って食事の出来る場所が出来上がる。初めての試みとの事だけれど運営は臨機応現で御見事。ここまで出来るなら葬儀場は利用しなくて良い。むしろ、本物のお寺なのでこれ以上がない。

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その法要を終えた後の本堂、これも写真を頂いた。通常の風景に戻る。何が素晴らしいかと言えば、整然とした佇まいで空間に清潔感のある事に尽きる。様々な利用をされても、戻しても、すっきりと人を迎える佇まいが出来ている。

設計時に視察をさせて頂いた殆どのお寺は、実は隅にあれこれと積み上がっていた。どれだけ綺麗なインテリアでも気に障る余計が目に入ると現実に引き戻されてしまう。ここは常に当たり前の非日常があって欲しい。そう設える事で御本尊と正しく向き合える場所であって欲しい。運用には気配りが欠かせず、相当な気苦労も労力もあるに違いない。今はその労すら楽しまれているかのようで、お話をお聞きするのは私もとても楽しみになっている。今はもう設計は何も出来ない。運用される方にお任せするしかないのだけれど、徹底したシミュレーションの実践、建築は使い始めてからがやはり本番だ。


例えば住宅でも、御自宅には伺い調査、観察をさせて頂く。そこでの営み、収納の様々、趣味やら何もかもをお聞きする。それは完全にプライベート、そこを解き明かし整理し、様々な住まい方や使い方を探る事がプランの基本になる。キッチンなど煩雑になりがちな場所も引越し直後から手足の如く使われていたりするのを見れば、一緒に長い時間を使い検討した甲斐があるなーと思う。