頂いた写真。

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カメラ構えてウロウロしたのは一大法要の翌日、案外にお寺の方々は日常なのか、大役を果たし落ち着かれたからか、ほら!と写真を見せて頂いた。これが坊守の撮った一枚。無理を言って頂いた。法要前夜、全ての準備を終えた後に外に出て眺めたらしい。とても印象的な一枚だ。

何故印象的なのだろう?翌日に自分も撮ったけれど、機材が違うのだしもちろん私の撮ったものの方が、先の記事の通り鮮明だ。でも、写真にはリアルな現実が写っている。全ての準備を終えホッとされただろう頃、それでも本堂の照明だけは落とさずに在る。私は全ての照明を灯す事しか考えて居なかったけれど、竣工写真であればそれが当然ではあるのだけれど、光りを限ると自ずと様々が写りこむ。光らせると様々を隠す事も出来る。

通常の、一般的な竣工写真はフラッシュも使い光を加えて綺麗に撮る事が最良となる。それがプロの仕事に間違いない。竣工写真で陰影の濃いものは不可だ。自分は、印象も取り残したいので様々を試みるけれど、綺麗に撮りたいとも思う。けれど、実際に使う、住まう人はありのままを撮って居る。

前住職もふらーと寄ってきてはさり気なく、撮った写真を見せて去って行かれる。何度も。

こんな写真、建築写真家でも撮影出来るかはわからない。残すべき写真にも種類があるのだと思う。案内するには綺麗な方が良いとは思うけれど、住み使う人が知る、この時!という一枚は私にはとても貴重だ。設計した者が想像でしか知りえない現実を体感された上での一枚は迫真に迫る。この先末永く守って行くお寺の落成を控えた最中に、ふとその自身のお寺を眺め、撮られ残された。御本尊が境内を見渡して下さるお寺、これは設計当初からお話させて頂いていた。その事も脳裏にあったに違いない。正にこの事と思って下さったに違いない。


いつも思うのだけれど、引渡し後にオーナーから届く写真は正直、ずるいなーと。私の知らない建築の素性が伝えられる。想像を超える現実が届く。届く頃には既にオーナーにとり、その建築環境世界が常となっている。季節が変われば陽の高さ、昇降の位置は変わり日々変化をする。時々、その日常の中でふと目に止まり「良いな」と感じ思わず写真を撮ってしまうようなシーンがあってくれるなら、それは本望だ。

自分の設計した建築に住み使う方が、その環境の中ではたと気付くシーンがあるのなら、それは最も望ましい。