初めてのお盆。

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なかなか竣工写真を整えられずに居るのだけれど、先日落成法要が行われたお寺、その住職から写真が届いた。お盆の様もお伝え頂く。「参拝に来られた皆様、笑顔でお参りされています」と。とても嬉しい。

諸室の配置、動線、一体的な空間の在り様、これまで一緒に悩み考えてきたもの。私には考える事しか出来ないけれど、今は現実であり、実際に使われていて、その大切な時間を有意義に過ごし、それが日常となる様子をお聞き出来るのは、やはり嬉しい。

実際、お盆の時期にお寺がどう過ごすのか?2年前の設計時には訪ね終日を観察させて頂いた。参拝者はもちろん多く、帰省し訪ねられる方々とお会いする事もあり、忙しくも楽しそうに見受けられた。読経のお願いにもお応えしつつの始終は休まる暇もなく。庫裡では、誰それさんが来ていたとか、あの方誰だろう?とか、応対された寺族の皆様で話されていたいたかな。失礼の無い様に整えられたお寺でお迎えされる様子、思いに感じ入った。

自分は設計の際に、仕事と割り切れない思いを抱える。実際、仕事だからと割り切る事が嫌で今に至る。どこか共感を覚えたのだと思う。お寺の方々も私があり、人であり、業もある。けれど、私が垣間見た様々は、他の行事や法要とも違い、夏の一時は楽しみでもあり、都度応対される様は実に実に親身に感じられた。私にはこの時、ここはこういうお寺なのだと理解をしたたのだと思う。来られた方と同じ目線で在るような・・・何れもう少し整理して書きたい。どの様なお寺を創造するかを考える上で貴重な、切欠の一つとなる体験だったのを覚えている。



写真は坪庭だ。これは私は確認をしただけ。お寺棟と庫裡棟は渡り廊下で結ばれている。現住職がこのスペースを利用しようと思いついたらしく、石を置き、もみじを植えられ、お盆に間に合った!と。庭木の手入れは・・・なんて話されていたのに、思いの他気持ちの在る庭が出来ていてビックリであった。正午過ぎの陽の傾きだろうか、精鋭のもみじに囲まれる石の庭がちょうど良く納まる空間は突然、主役に躍り出る勢いだ。こういう一つ一つの丁寧な様が境内を成し、雰囲気なのか空間を仕上げられてゆく。

人の住まなくなった家は直ぐに見て取る事が出来る。少しの雑草や僅かな汚れ等がなのか、人は感じてしまう。逆に、健やかな光景はそれら廃頽的要素を省き、丁寧に手入れ、心配りがされると感じる事が出来るのだと思う。届いた写真が、整った光景に思われ、無事にお盆を迎えられたのだと知らせてくれた。