マラソン

正直を言えば、オリンピックのマラソンの中継、沿道に拍手での応援ある風景は良いものに思えた。

 

一部は混み合っている様に見えたものの、ラッシュ時の地下鉄には及びそうにない。マスクを外して声を出し始めるなら悩ましいけれど、沿線の多くはソーシャルディスタンスを確保しつつ、多くの方が拍手で応援をされていた。

もしも、きっちり自粛し、この札幌の中心市街が無人だったなら? SF的な光景で不気味、気持ち悪い。海外の人はきっと、遊びに行きたいとは思われない街に見えただろうと思う。

目先目の前の批判と責任に捕らわれるのではなく、国際的なイベントで海外の多くの人が目にする事を考えたなら、別の取り組み方があったのではないかと思う。オリンピックの大取であるマラソンはやはり、華がある。二連覇を達成したケニアの選手は素晴らしくカッコ良かった。マラソンはそもそも自然への挑戦でもある事を改めてしるレース、北海道は100年に1度の猛暑だったとして、それを理由に走れませんでした!などと言い訳をするランナーはいないだろう。そういうレースを開催する地として何が出来、何が出来ないのか?整理は出来なかったのだろうか。責任を持つものが批判されない最小限を実行してしまったように見える。

 


男子マラソンの朝、私は早朝から所用があり出かけたのだけれど、その際に通りを見れば早朝から人の波がある。上空には低くヘリコプターが舞い、何時もとは違う様相だった。こっそりと見に行こうか?真剣に悩んだ事を告白する。徒歩5分の、いつも使う道がマラソンコースだった。私はランナーではないけれど、友人10人上げると1人はランナーだろうか。子供が小さければ迷わずに見せようと思ったに違いない。

帰宅してから録画にて男子マラソンを観戦したのだけれど、金メダリストの走りは圧巻だった。2時間釘付けで観戦出来る内容だった。彼に挑もうと懸命だっただろう選手が脱落するシーンも多くあった。銀銅メダリストの走り、至る物語は目頭を熱くさせるし、2位争いで最期に4位に留まった選手に気持ちは如何ほどだろう。

6位入賞の日本人ランナーには痺れた。先頭グループから落ちた時点でずるずる下がるのが常に思えるのだけれど、逆に落ちて来た選手を交わして8位から6位へ、そこから2位グループに食らいつき離されずに走り、直線コースでは前の見える状況だった。国の、という負わされた重責が先に立つと粘れない様に思う。先ずは自分との挑戦があるのみ。そうして初めて真摯に懸命である事が出来、その先に成果があるのではないだろうか。偉大なチャンピオンに挑む機会、選手にとって貴重な4年に1度の大舞台、最も恵まれた最上のプレッシャーを得られる機会にどこまで自分と戦えるのかを垣間見せてくれた。ゴール前で笑顔で手を振り、インタヴューではタオルで顔を覆いしばし時間を置く姿、語らずとも伝わる事多し。

と熱く書き記す私は・・・テレビの前で寝そべりながらの観戦だったわけですが。


実際、準備は相当なものだったと思う。沿道に巡らせたフェンスは期間中、アチコチに納められていた。夜な夜なの豊平川散策はしていて、そのフェンスがあちこちに在るのを眺めていた。散策コースがマラソンコースの一部でももあるので。あの大量のフェンスを用意し、実施前にボランティアなのか大勢の人が一気に設置してコースを築いたのだろう。レースに支障をきたしては選手の人生を狂わせる事にもなる重要な縁の下の仕事、その労と達成までを何方かドキュメンタリーで伝えてはくれないだろうかと思う。

実際に見ればきっと、札幌マラソンと相違は感じないのかもしれない。けれど、子供達に観戦の機会を作れなかったのかと惜しい。大通り公園に特等席を設けて学童観戦場としても良かっただろうと思う。私のようなニワカの人は自粛で良しとして、将来に生きる糧と出来る機会として使う術は無かったのだろうか?多感な子供達が後に、あの時のマラソンは!とは語れない状況は実に惜しい。

それに、秩序を持って整然と観戦して楽しむ風景を世界に向けて発信できる機会だったろうにとも思う。このような時世であっても、健全である事をアピール出来たなら、開けた暁には再びとする事も可能だったろうに。ピンチをチャンスに出来るだけの人がいなかった証明にしか過ぎず。新聞紙面には道外から観戦に来た特殊な人の言葉ばかりが載せられていた。そういう方も一定数は居るだろうけれど、多くの方は違ったのではないかと思うし、思慮なくリスクを負った方ばかりでもないはず。批判は噂話として面白くはあるけれど、それを主として本命を潰してしまったのかもしれない。

ちなみに、先に書いたサピエンス全史では、認知革命後の事として「噂話」は重要だったと記されていた。人は揶揄する事が根本から好きなのだそうだ。なら、良い方へ仕向けられる事も出来たのかもしれない。


少し、書き過ぎたかもしれない。

建築設計は常に挑戦でもある。当たり障りなく穏便な設計の方が世の中では多勢ではあるけれど、大手の冠を被ったり、流行に載せる方が楽ではあるものの、より安全に健全に最大限に楽しむには、挑戦する事は欠かせない。最後まで持てる術の全てを使い成果を見せてくれた日本人ランナーの姿が熱い。その先へ進めたなら、自分以外の全てが苦しい状況であったのにも関わらず最後に慎ましい笑顔でテープを切ったメダリストへ近づけるかもしれない。寝そべっての観戦で恐縮ではあるのですが、実に有意義な観戦でした。


2015年に観戦した札幌マラソン、以前に記事にしていました。同じコースがオリンピックマラソンコースです。人の数は違うのですが、臨場感を味わって頂ければとリンクを貼ります。