白滝の黒曜石。その④ 空想編

今から1万5千年程前の氷河期の北海道では、

『あら、素敵なナイフですね。白滝産?』
『やはり刃物は白滝産の黒曜石に限るな!』

という会話が在ったのかもしれない。

『黒曜石の在庫が乏しいの。採ってきて!』

『えぇ?今年も?大変なんだよ~』

という夫婦の会話だったのかもしれない。
又は、より優雅に温泉旅行に行くかの如く、

『久しぶりに白滝へ行くか!』
『上川で温泉にも浸かれるし!』


と、家族旅行だったのかもしれない。

『息子が初めて白滝へ行ってきてね、
 良い石を持って来てくれたの!』

という成長物語だったのかもしれない。
今は、誰も知らない。

と言う事で、想像するのは自由に楽しめる。
当時、どう旅をしたのか?検証してみよう。


【白滝探検隊】
■条件
①:氷河期にも現在と同じ河川があるとする。
②:札幌方面からスタートする。
③:上川には人の住む集落があるとする。

■探検隊組織
白滝探検は若者の大人の儀式として行うと考えた。集落には2,3の家族があり、近隣の集落と共同し、その年に適齢となる若者を集う。5人の若者と2人のベテランで探検隊を組織する。ベテランから道筋、黒曜石の露頭場所を学び、黒曜石の採取、加工の手ほどきを受け、受け継ぐものとする。

■探検時期
笹薮に覆われる夏場の探検は厳しそう。雪解けを待ち、夏が来る前としよう。

■探検経路
上川アイヌ旭川や愛別には居た様子、当時も人の住む集落があると仮定する。「上川」までは石狩川沿いに辿り着けるとする。白滝へは北見峠を越える必要がある。ここに分水嶺がある様子。上川からは「留辺志部川」を伝い行き、北見峠を越え、「湧別川」に沿って進む。白滝からは「八号沢川」を遡り「赤石山」を目指す。赤石山に黒曜石の露頭がある。

経路は河川沿いを進むとする。おそらくJR鉄道路線は最も平坦で移動の容易な場所を想定しているはずなので、これと国道333号がおそらく当時も有用な道筋になったはず・・・実際は獣道を歩くのだろうけれど。

■キャンプ地の想定
上川を【CAMP 1】、浮島を【CAMP 2】、白滝を【CAMP 3】、赤石山の露頭を【CAMP 4】とする。
CAMP1からCAMP 2、CAMP 3からCAMP 4までは20km弱の行程となる。当時の山中は一日にどの程度移動が出来たのか?わからない。上川ー白滝間を二分割したけれど、3行程に分割する必要があるかもしれないけれど、当時の人は健脚だった事にしよう。

■探検行程
上川のCAMP 1を出発してCAMP地2,3を経由し、目的地の赤石山のCAMP4まで3日間の行程となる。往路最短で6日間。現地滞在1日目は黒曜石の採取。2日目、3日目は加工の訓練と荷づくりとする。全行程9日間とする。

■食料
鮭の干したもの、肉を干したものがあれば、水は川沿いで確保出来、川で魚を釣り、春なら山菜も確保出来るはずなので食料には困らずに済むのかな?

■携帯装備
防寒具一式とテントとなる皮類一式。木の棒や覆いとなる笹は現地調達。

■決行
降雪前の秋までに上川(旭川)まで行った方が良いのか、冬場でも石狩川沿いなら人の往来があったかもしれないので安全に行けたのか、どうなのだろう。

ちなみに網走北見方面からなら、遠軽をキャンプ地として湧別川沿いに丸瀬布を経由すると近い行程を想定出来るだろうか。

石狩平地からスタートするなら、江別、岩見沢美唄、滝川、深川、旭川、上川と歩き続けて最低6日間で踏破出来たのだろうか?黒曜石を使った石刃鏃文化の拠点の女満別(現大空町)から出発しても似た行程が予想される。休まずに歩き続けても18日間になる。休憩を挟むと1ヶ月の行程が現実的だろうか。白滝の目的地は高地なので、春先を待って雪融けに沿って進めば・・・間氷期の今なら4月末に出発し、6月前に帰還となるだろうか。7,8人で行けば1年くらいは遣り繰りできる量の黒曜石を持ち帰る事が出来たのか、どうか。

■考察
夏場なら熊が居る。冬場でもオオカミは居る。蝦夷のオオカミは中型犬程度のはずだけれど、当時の人は現代人より栄養には恵まれず背は低かったはず脅威に違いない。狩猟の道具や釣り具は欠かせず、相当な荷物を背負いつつ、現地で生き抜く生活力も必要だったろう。1カ月程度を生活素材採取のために使えるとすれば、それなりの余裕がなければ出来ない。旧石器時代も割と優雅な生活が出来ていたとしても不思議はない。

果たして、当時はいったいどのような生活があったのか?空想するのは楽しい。