白滝の黒曜石。その① 『国宝!』

少し前の事、新聞一面に石器が掲載されていた。一度描いた石器は忘れない。白滝の黒曜石による石器の一群が『国宝』になる!とのニュースであった。


掲載されていたのはこの石器、スケッチは13年程前に描いたもの。まさか、日の目を見る日が来るとは!11年前には重要文化財になっていたはず。これを選んで描いた自分、目は確かだぞ?・・・一押しの展示だったので当然か。


自分の住んでいる北海道の古には誰が住んでいたのだろう?という興味から確かめたくなり、縄文や旧石器時代などなど史跡遺跡に博物館を巡るようになり久しい。友人達と一緒に巡る「縄文探検隊」もかれこれ10年以上になる。巡る時は時代を縄文に限らず、更に建築も見て回るのだけれど。

そんな探検の中で出会う遺物、特に道具である『石器』は興味深い。実際、旧石器時代なら既に細分化されていて、技法も完成されているようだ。切れれば何でも良いのではなく、肉を切るならコレ、穴を開けるならコッチ、皮をなめすなら、携帯用に、斧、やじり・・・数え切れない。


白滝の文化財センターの展示から、例えばこのような具合に石器は多彩だ。ここまで精密に加工されていれば文句の一つも無いどころか、驚いてしまう。ここまで道具を使い分ける人達の生活とは?

石器時代には「原始人」が居て、拙い石器を棒に括りつけてマンモスを追っていた・・・のは妄想に過ぎない。少なくとも、3万年程前から北海道には『人』が居た。用途に応じて極めて精緻に石を加工し使い分けるだけ十分に豊かな生活を送る人達が。

そして、もっとも肝心な事に素材である黒曜石、特に良質な黒曜石を求めて白滝にまで行き、採取、加工、運搬の拠点か工場までも築いていたらしい。

びっくりしませんか?

旧石器時代は氷河期、今よりも相当に寒い。白滝は日高山脈の北方の山の中にある。道も車もない。電気もない。携帯は使えない。でも、人はそこに道具の素材を求めて訪ねている。その日暮らしの狩猟採取を生業とする人達?の概念は壊れる。わざわざ、そんな遠くへ素材のために行くだろうか?行く必要が当時既にあったのか。行ける余裕があったのは間違いない。


3万年くらい前の人の中の何方か、探したんだろう。良い石はないか?と。そして山の中に見つけた。何時しかそれは北海道中に知れ渡り、皆がこぞって集まる場所になっていた。その痕跡を含む白滝産の黒曜石の一群がまとめて『国宝』となる。当然の事の様に思われる。


ちなみに、北海道のもう一つの国宝は道南で発掘されたこの『中空土偶になる。写真は複製。この複製は本物からかたどりをした状態の良い複製品だそうだ。土偶は流石に映えるのだけれど、私は石器の価値が認められたことが嬉しい。

白滝の黒曜石が特別である事は考古学的には古くから知られている事。遠くは樺太、本州でも白滝産の石器が出土している。価値を学術的にか誰しもがわかるように知らしめる事に勤しんだ方は相当な数に登るに違いない。国宝の報を聞いて喜んだ人達が大勢、北海道に居るのだろうな。