石器!

石器づくり体験という機会があって、興味が高じて参加した事が2度もある。貴重な黒曜石を粉々にしてしまった罪深い機会にして、とても貴重な体験。縄文時代旧石器時代の人は「原始人」ではなく今の人と同じ「人」、しかも類まれなる知識と見識、感性の持ち主であったと思い知る。

10年以上も前ではあるけれど、記録写真が残っていたので記す。

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この機会に用意頂いていた黒曜石の原石。参加者に一つが配られる贅沢でしかも、憧れの白滝産だ。

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石器は打製、打つのは河原の石を使う。これも用意頂いている。

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押圧剥離と言い、弾性のある素材、ここでは鹿の角を使って細部の加工は押して剥がす加工を施すまでを行う。

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原石は露頭より剥がれ落ち川を下る?具合で表層はまるで「石」だ。ぶつかり傷つき輝きを失っている。しかし、とにかく川原石で叩いてみれば現れる火山性のガラス質、まるで硝子のように美しい。

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・・・がしかし、叩き進むとこの有様!どう好意的に見もにそれは最早、粉々だ。貴重な石材が!申し訳ないと心から思う。

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粉々の中から、心ある破片を集めてみる。正直を言えば、細石刃など奇跡の所業としか思われない。硬質の石は打つ石の打角よりも深く力が入り割れる。割りたい方向より浅い角度で打てば薄く剥離が出来るのだけれど、そのコツをつかむには石一個ではまるで足りない。不器用?かもしれない。手先はそれでも器用な方だと思う。建築模型もこのブログでは沢山載せているように客観的にみて下手ではないはず。素材を適切に扱う事の難しさ、それを自在に扱える技の確かさ、職人か工芸作家レベルの優れた人が2万年以上前の北海道にはそこら中に当たり前のように居た事を思い知らされ、驚いてしまう。

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偶然の産物は、まるで細石刃だ。薄い部分の透明感を見れば、黒曜石がガラスだという事を知る事が出来る。とても綺麗で何時まででも眺めていられる。

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適当は破片を鹿の角で意に沿う様に押し当て少量を剥がし続けると、なんとなく石器?のようになる。この意図的な押圧剥離痕があれば、最低でも旧石器時代初期の不器用な人の石器かな?と考古学者は理解してくれるに違いない。実際、この程度でも刃物として使う事が出来る。

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これは憧れの「つまみ付石器」。樹皮の繊維で作った紐をつまみに巻けば携帯便利なナイフになる。しかもこれは手数の少ない打製を基本としているので、旧女満別町の特定地域で見つかったなら石刃鏃文化の!と考えられたに違いない。

当時の人を祭り縁日の型抜き屋に連れて行けば百発百中で射抜けるスキルがあったのだろうなと思う。

北海道に人が来た頃は2万5千年程前の事。その期間では生物的に新しい種別の誕生は難しい。寿命サイクルの早い昆虫でも適応が精々ではなかろうか。現存する生物種は既に存在していたと考えるのが自然なのだと思う。もちろん人もサピエンス。良質な石はどこにあり、どうやって行くのか、どう加工するのか、どう使うのかを伝えたのだろう。言葉はあったのだろか?どうやって伝えたのだろう?

少なくとも現代の道具かのような精巧に加工されたツールを要求するレベルの生活が在ったのは間違いないのだから、文化的な営みのあった事を肯定するしかない。木は腐り消えてしまうので遺物としては出土しない。泥炭に埋もれて出てくるものは極僅か。もう少し手掛かりがあれば、私にも当時の生活が容易に想像できるのに。