石器から知る事。

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何時しか、北海道のかつての姿に興味を覚える。縄文や旧石器時代への想像はとても楽しい。中でも石器には魅力を感じていて、この本は2度目の完読。

シリーズ「遺跡を学ぶ」012
北の黒曜石の道 白滝遺跡群
著者:木村英明 2005年2月発行 新泉社

正直、難しい。専門用語が頭に入って来ないので寝る前の読書には最適かもしれない。良く眠れるし・・・著者は札幌大学の先生らしいので、市民講座なり何処かで学ぶ機会はないものか?出来れば実物を前に講義して頂けたらと心から思う。


本の話の前に、ある石器を紹介したい。

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私の興味は、この石器に出会い決定づけられた。とても大きな石器で、それが手数を極端に少なく制作された、偶然に出来たのかと思う程に黒曜石の石質が美しい。これは開拓記念館(現北海道博物館)所蔵のもの、初めて出会った時は一目惚れし釘付けになってしまった。

この石器を作ったのは大陸から渡り来た「素材に拘る」グループとされる『石刃鏃文化』の人達。どうしてこのような美しい石器を作れたのか?素材を選んだからこそで、白滝産の黒曜石が使われている。知って以来、白滝が気になって仕方がない。

石器は石種を選ぶ。打製石器では黒曜石や頁岩など硬い石が選ばれる。鉄器が常用され始める擦文文化までは必需の道具で、縄文時代には既に「工芸品かな?」という精緻な石加工品が町村の郷土資料館にも必ず展示がある。北海道の人の歴史はとても古い。

展示される石器は用途別にされていると思う。この本が難しいのは、用途や材種の区別ではなくその製法に言及している点にある。実は2度ほど私も石器作り体験をしているので想像は微かには出来る。それは極めて難しい洗練の技だ。

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問題の石器はこの「細石刃」になる。この製造方法が地域差も考慮され分類されている。細石刃とは写真の様に大きな石核から大量に薄い刃を製造するもの。
※写真は白滝にある遠軽埋蔵文化財センターのもの。

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動物の骨や木棒に溝を掘り、そこに細石刃を嵌め込んで使われる。細石刃をカミソリの刃の様に使い、欠ければその部位のみを交換して使う事が出来る。大きな石器は必要はなく、細石刃を作れる石核だけを白滝から持ち出せば良い。石は重いので大きないので移動の妨げとなり、細石刃は薄いので割れやすく、よって石核が持ち出される。
※写真は北海道博物館で撮影。ちょっとボケてるけど。

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遠軽埋蔵文化センターで案内されている製造方法による区分はこれ。その白滝には石核などの加工された石は持ち出されていて、製造時に剥がされた断片のみが残されている。そこから色々推測し研究がなされているのだそうだ。痕跡から辿る気の長い作業が今もされているらしい。

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ちなみに白滝の利用は旧石器時代の2万5千年ほど前からになるとの事。以前に載せたこの表、氷河の柱状コアの酸素同位体から推測される過去の気候と湖底の体積物から推定される植生の比較図、ちょうど中央付近に人が北海道に来ていた事になる。広葉樹は無いので果実には預かれない、ハエマツが疎らに在るツンドラの光景が当時の北海道らしい。

白滝は黒曜石の一大産地ではあるけれど、標高は高いし現在でも寒く遅くまで雪が残る地域、当時は相当に寒かったはず。石材のために人はそこへ行っていたのか?と疑いたい。というか、そこへ行くだけの余裕があったとは凄い。笹薮の中をではないので歩きやすかったのかもしれないけれど、当時は熊も狼も居ただろうし、獣道を辿って行ったのだろうか?想像を絶する。

面白かったのは、どうも分業らしきがあり、石材の流通ルートが出来たいのではないかと記されていた事。白滝産の石器は道内は各地、樺太でも発見されている。

今も縄文時代ですら社会のあった事は想像は出来ても根拠を示せず断言はされない。それが旧石器時代から社会的な繋がりを否定出来ない事実が見つかる可能性があるとは。山深い黒曜石産地からの石材持ち出し、一時加工の地、流通、流通拠点の存在が遺物から想像されると聞けば、ワクワクを止められない。

家族単位か血縁の家族関係の構成人員で定期的に白滝まで黒曜石を取りに行くのは難しいのではないか?これはきっと誰しもが最初に思う事だと思う。石は重いのでそもそも持ち出す量は知れている。かつ、道も標もない。しかも寒い。辿り着けない可能性の方が高く、熊も狼もいるとあっては無謀にも思える。私なら・・・河原の石で我慢しようって考えてしまいそう。数年に一度は取り行けるくらいに容易だったのだろうか?ブツブツ交換を前提に商売する人が居たと考える方が素直な気がするのだけれど、それを示す事が出来ない。

ある特定のモノ、使われた素材、その製造方法から世界を知る考古学的アプローチに学ぶ事は少なくない。今の自分も敷地を知る、要望をカタチにする、建築設計のアプローチは地道に答えを求め探検をしているように思う。偶然にではなく、確実に細石刃を得る展開に持ち込めたなら間違いはない。生活痕は乏しく伺い知れはしないけれど、使っていた道具を見れば文化水準の高い事は明白で、なので想像が膨らんでしまう。