トーチカの銃眼はどこを向いているか?

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昨年の秋に訪ねた道東の縄文探検は実に落ち着いた、今しか無い絶妙のタイミングだった。写真はその際に出会ったトーチカ達のもの、とても印象的で強く印象に残る。ちなみに今年は道南か?等とタクラミが幾つもあったのに順延だ。

北海道の新聞にトーチカの記事が載っていた。気になるのは記事の末尾だった。
「銃眼は今も太平洋に向けられている。」とあった。
この記者は本当に見て書いたのだろうか?


何だかとても残念な記事だった。新聞はつい信用してしまうのだけれど、調子が良いだけで信用に値するかは自分で確認しないと騙されるのだと改めて思う。

これは新聞に限った事でもない。建築などとても良い事例になる。自分の目で確認するまでは信用しない。これは学生時代から今も変わらぬスタンスだ。見てきた人が何者か?知らずに信用しては騙される。難しい文章で語られる事の多いコルビュジェの建築なんて私には、建築に楽しさを求め挑んだ!証に思えた。もちろん、私の言葉も怪しんだ方が間違いはない。或いはその先に共感があるかもしれない。

以前にも書いたのだけれど、トーチカと聞けば私が最初に思い浮かべたのはスピルバーグの撮った『プライベート・ライアン』の冒頭に出てくる要塞だった。ノルマンディー上陸作戦で連合軍が上陸した海岸はトーチカの群れの中、銃眼から機銃掃射がなされる壮絶なシーンが延々と続く。彼自身がユダヤ系でもあり、『シンドラーのリスト』も撮られている。描かすには居られなかったのだろうか。

同じものを想像して訪ねた道東の太平洋側沿岸で出会ったトーチカはまるで異なる存在だった。建造時には既に立ち向かう力など無かったのだ。正面から上陸に備える事すら出来ないと諦めた、その象徴に過ぎなかった。

海岸線は手つかずの場所が実は多い。低地は僅かで基本は削られた断崖が続く。縄文海進で削られたのではないかと私は予想している。上陸して断崖なら妨げになるので、斜面のある河川流域が上陸地に選ばれるだろう事は予測していたのだと思う。迎え撃つべく勇ましく聳えるトーチカ!なら、太平洋に銃眼を向けるかもしれない。その当時の北海道に迎え撃つ映画のような備えは間違いなく皆無で、あの小さなトーチカには数人しか入れないし、もしも機関銃があっても小さな銃眼に入れられるとも思えない。一人が鉄砲を構えるだけの施設に過ぎない。

中には太平洋に向けて銃眼のあるものも、あるのかもしれない。少なくとも新聞に掲載されたトーチカは太平洋にソッポを向いているではないか。載せた写真のトーチカも全て横を向いている。残念ながら、太平洋には向いていないよ。

 

おそらく、上陸されるならその前に艦砲射撃に曝される。トーチカは群れを成してはおらず、距離を開けて点々とあるのみだ。艦砲射撃に耐えた後に上陸者に発砲出来るのは幸運でも河川の右岸左岸の2つ程度、但し発砲すれば場所を大きな音で知らせる事になるので、密かに埋め込まれたにも関わらず的になるだけだ。上陸者が数十人なら対抗できるかもしれないけれど、数百人、数千人なら果たしてどうなるのだろう?そもそも機能する事も考えられていない事は明白なのだ。

重機もない時代に、ハマナスの棘に散々に刺されながら切り開いた曲がりくねる塹壕の先に人力で、出兵して若者の居ない田舎町に託された老人か子供の仕事で築かれた陣地は、良好な材料も水もなく海の石や海水を使い突貫で仕上げられた粗悪構造物だ。それでも、今の私に人力で築けと言われれば絶望したくなるに十分に圧倒的な仕事量なのだけれど、それにしても実に小さい。その懸命な仕事にも関わらず上陸阻止は不可能で驚かすだけが精々と言う、その哀しい残念な様を今も曝しているのが北海道にあるトーチカの正体だ。

太平洋に向いている?仮に向けてあの小さな穴で何をする?間違った事を伝えるのは罪だ。あの記事は記者が浅はかに気持ち良く書いただけでトーチカよりも物悲しい。

当時はお寺の檀家単位でスポンサーになってゼロ戦を造ったのだそうだ。遠くは樺太でも。苦しい最中に漸く築いた構造物も活躍など予想も出来ない代物で徒労に過ぎない。その侘しさを語る海岸線が今も北海道に在る。出合えば言葉を失い、何も言えなくなってしまう。

率直に言えば、あれはバカげた残骸に過ぎない。だから今、改めて知る必要があるのではないかと思う。知っておかなければ、また間違うかもしれない。少なくとも新聞記事にあるように太平洋に向けた!? 勇ましさなどまるで無い事を知る事が大切だと思う。