タイの旅、2020年を改めて ⑦ 開口部と陽射し

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開口部、日本では障子戸が用いられた。北海道ではどうなのだろう?
障子は和紙を用い、降り注ぐ日差しを濃して室内に柔らかい光を導く。谷崎潤一郎の陰影礼賛の世界になる。タイに陰影礼賛があれば、なんと記されているのだろう?興味を覚える。私の見た開口部は影絵の様だった。穴の穿たれた板が開口部に納まっていた。温める室内を必要としないだけ温暖な地域では、「閉じる」事を知らないらしい。埃も入りそうだけれど、埃が舞う事の無い程度には湿潤なのかもしれない。防犯には間違いはなく、通風はそこそこ期待が出来、最低限の明るさは導き、そして熱は受け入れない窓。

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この窓も面白かった。こけしの様に木棒を回して加工したものが格子に用いられている。凹凸は丸みを帯びて外を緩やかに映し表情となる。ここも外にはガラスはなくオープンだ。何れも日本では想像も出来ない窓になる。寒さに備えて閉鎖する必要のない世界でのみ通じる窓だ。

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訪ねたのは『ワット ロークモーリー』、伝統的なチェンマイの寺院だ。タイの文化は王朝毎に建築様式があるらしい。総じてみればどれもタイ式に見えるものの、建築された時期により細部は違うように見える。見聞を深めるなら区別は容易ではないかと思える程に多様に感じられた。この寺院の窓、割と多く開くもののの先に案内した板や格子で埋め立てられている。通風は期待するものの眺望は不要、採光は避ける構造になる。昼間でも照明を灯さなければ実に暗い室内で、結局は暑いのだけれど。

風水か家相を気にし過ぎ得ると暗い室内も多くなるけれど、ホールを中心にするプランでも薄暗い室内は北海道でも多いか。そうしない工夫を私は行うけれど、ここでは暗さを優先してでも太陽を遮る事に懸命な様があり、驚く。それが意図せずにではなく、意図して行われ、その開口部にはその地域らしい工夫が観られる。

敢て開口を多くし、湾曲凹凸の格子や影絵の様な板を嵌め込むアイディアは今後挑戦してみたくなるな。

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内陣に相当する背後に開口のあるお寺が多い。通り抜けられるお堂がスタンダードらしい。多くの寺院の阿弥陀様?は金色で、照り返しの日差しで下方から照らされ浮かび上がる。室内で天井が最も明るい自然光環境とは、想像もした事がなかった。大気をより多く透過してしまう北方地域では得難い太陽なのだと思う。

日本で、北海道でお寺の内陣は開口を持たずに暗く施し、ローソクの灯で金色が浮かび上がり「御浄土」を魅せる。タイではそのようなお寺に一つも出会わなかった。照り返しの下方の光を使う荘厳さはしばしば出会う。人の集う外陣は窓は少なく暗いものの、背後から仏像が浮かび上がる様は度々見かける。

音更のお寺で私が実践した、一般的なお寺の金色を用いて作る御浄土ではなく、金色ではなく自然光で造りあげる御浄土は、南国で目の当たりに出来た?のかもしれない。少なくとも解の一種に出会えた。設計する前に知っていれば苦行の様に悩み過ごしたあの日は無かったのかもしれないな。旅は答え合わせの事例になったのだとも思う。

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これは『ワット チャーンテーム』の一コマ。このくらいに薄暗くないと居心地を勝ち得られない世界が世の中にはあった。如何にも南国的光景だと思う。北海道でこれを設計してしまったら寒々しくて心地を求め様もない。注意が必要なのは、窓を開ければ明るいのではなく、窓多く開けてもこうのような状況は生まれる事、繰り返せばこのような室内のある家の方が実は多い現実がある。