タイの旅、2020年を改めて ⑨ 質感

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『ワットプラシン』 の金色は驚きだったな。白昼の下に金を曝すなど考えた事が無かった。しかもそれが日本では見る事の出来ない高い陽射しの下で。眩しかった。カメラが何にピントを合わせるべきか悩むくらいに輝いていた。有難く嬉しく喜んでしまう。

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寺院は許される限り金が使われる。小さな彫刻までも。これは『ワット チェンマン』

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『ワット チェンユーン』は特別な印象はないものの、真新しい白壁と金装飾の組み合わせが青空に映え、印象的だった。

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『ワット チェディルアン』は視察した寺院の中でも特別にロマンチックなものだった。バンコクにある三大寺院は新しい建築で絢爛豪華に違いない。チャンマイのこの寺院は当時の文化繁栄をみせる。崩れ落ちてはいても威厳は損なわず、何よりとてつもなく巨大。この規模を全てレンガを積んで築かれている。タイは比較的新しい文化があるのか、石ではなくレンガで建築される。アジアの遺跡の多くは石が使われていると思う。自分達の文化をどう担うか?特殊で特別なものでなく、一つ一つの丁寧に積み上げる文化がタイの側面なのかと想像している。

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『ワット チェットヨート』は古い寺院で広大に敷地に廃墟までが揃う。レンガを積んだこの塔建築は当時、寺院の何かしらの一部だったのかもしれない。今は塔のみが敷地の中にポツンと残る。アーチが組まれ四方が開放されていて、中央に仏像が空をシルエットにして配置されている。金で覆われる寺院もあれば、それらも下地はレンガ、そのレンガは地場の何処かで取れる土を使い焼かれたものなのではと思う。この色は地域の色そのもの、化粧は剥がれ落ちていても景観に良く馴染む。

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チェンマイで宿泊したホテルは、部屋のテラスからプールが見えた。ニセコでホテルを設計しても、こういうシーンは全くイメージ出来ないな。気候は建築行為の、敷地条件の基本なのだと思う。プールのこんな鮮やかなタイル、今の自分の設計で使おうと思う事はあるだろうか?思う必要はなく、敷地にある太陽の光の下で最も質感のある素材を選ぶのみだとして、目の保養になる。

f:id:N-Tanabe:20200215041910j:plain『ワット チェットヨート』のお参りの際に使われるローソク台。色様々なローソクの融け落ちた毒々しさ、一瞬、不気味なものに見えたのに、見入ってしまう。水の張られた上部に鉄枠が通りローソク差しが施されている。その鉄部はロウで覆われ良く見ないくらいに使い込まれている。これがその場では美しいものに見えた。廃墟のような建物ばかり多くある寺院でありながら、ここには今も使われている現実、故の生命感があった。生きている意味を考える機会でもあった。