『ワットプラシン』はチェンマイにおいて由緒正しいお寺らしい。
もうこれに魅入られて、何かを判断したり考えたり出来なくなった気がする。暑かったし。何だろう?これ。金の像が居た。モザイクではなく金の巨大な面が白昼に強い陽射しに晒されキンキラキンに輝く様がこの世にあり、眺める機会があるとは思いもしなかった。
大きな境内の中には幾つもの本堂がある。一際輝く金ピカの仏塔の周囲には小さめの本堂が二つ在った。この手前には巨大な本堂がある。
何か間違ったかのように金ピカだ。ここまでしなければならない理由があるのだろう。どんな理由なのだろう?ただただ、有難いと思うばかり。
気を取りなして横の本堂に入る。龍のしっぽが絡まりエントランスとするのは様式かもしれない。中央の〇は曼荼羅に相当するのだろうか?
外の賑やかさとは打って変わって落ち着きある気品漂う本堂室内。須弥壇か空殿か、立派に聳える。ちなみに生き写しのようなお坊さんの人形は流行りなのか、あちこちのお寺で見かけた。生きているのかと思う程に良く出来ている。本堂内の照明は基本、シャンデリが吊り下げられている。
空殿の足元の詳細。かなり古いものに見える。華やかだ。
空殿側面、ここも多数、周囲に阿弥陀様なのかお釈迦様が居る。
その台座の詳細。
ある部分の詳細は工芸細工だった。貝を埋め磨き作られたのだと思う。とっても綺麗。タイの職人の精緻さをうかがう事が出来る。。きっと見落とした様々は多いだろうけれど、これに気付き眺められたのは幸運だったのかもしれない。観ていて飽きない。
幾つも本堂があり、ある一つでは法要が行われていた。柱に括られた紐が格子に組まれ、ここに一団の人々が納まり、その中央には櫓を組みお二人が座られている。このお二方の為の法要らしい。上空の編んだ糸、縦糸は伸びて正面の阿弥陀様の手に届いているようだ。赤地に金装飾、実際の法要を見る機会は特に印象深い。