2020 タイ旅日記 ⑰ 『ワット チェットヨート』その2

『ワット チェットヨート』は規模も内容も他とは違い興味を覚えたので二つに渡り案内をする。旧市街の大きなお寺は観光地的であり、数多くのお寺は地域に根差す一般的な寺院、ここは寺町の様相で他とは違う規模に見える。観光客も少なくはないだろうけれど足を伸ばす必要もあり、今も利用されるお寺であるようにも見える。実際はどういう位置づけがあるのか、わかりませんが。

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これが印象に強く残る「色」。蝋燭台は特徴的な仏塔の西側にあるお堂前に設置されている。下に水を張り、蝋燭差しを加工したスチール管が3段設けられていた。掃除はされずに融けた蝋燭がそのまま重なっている。しかも、蝋燭は毒々しい程にカラフルだ。汚く見えないのは何故だろう?ケバケバしいとも見えないのは何故だろう?陽の強さ故に色に感じる印象は異なる。

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融けた蝋は鋼管に絡まり重なり、落ちた蝋は下方の水の中で重なり固まり、見た事のない異様な光景なのに目を奪われ、綺麗!と思えてしまった。こういう場所で何を祈ったりするのかな?

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蛇がたくさん居た。これはコブラだ。東北に仕事で通った頃、藪の中には入るなと注意をされた。マムシが居るので噛まれるぞ、と。きっとこの辺では、藪には入るな、コブラに噛まれるぞ、と注意されるのかもしれない。出てくるのがマムシコブラでは恐怖の度合いは違いそうだ。仏塔に数多く並ぶこの蛇達は神様になるのだろうか?八百万の神様が在り、同居は当然の事なのだろうか?鼻が象のインドの神もあちこちにあるし、象自体もたくさん見た。蛇はここで初めてみたけれど、仏教もまた懐の深い宗教であるに違いない。
そう言えば、伊達にある善光寺には誰彼のも引き受けてしまうのか、行き場のなくなった仏像のみならず神様も在った。円空仏含め本堂にはご本尊以外の仏像がある。
蛇は建物の西側北側一部に壇を組んで大小数多く在り、違和感はなく、大切にされている様に思われた。

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蛇達の向かいには御神木がある。その側にはブースが設けられ、どうやら白木の杖が販売されていた。そこで購入した棒で御神木を支える事でお勤めとなるのだろう。不思議な習慣、不思議な商売。

 

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本堂の階段にある例の龍か蛇、その詳細。色付き鏡が埋め込まれ森の中で光っている。

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本堂の内部。案外質素な佇まい。屋根面を天井とせず、別に平たい天井が設けられていた。内陣脇の開口を出ると仏塔の洞窟堂を眺める事が出来る。

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高床の本堂の下には僅かな収納があるらしい。その蓋は格子、仏像が描かれている。既製品ではなく、版があり、職人が手作りで原寸に合わせて作ったものではないかと思う。このタイプの鉄扉はあちこちで見かけた。タイの人の手先は器用なのだろうな。

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ワットチェットヨート、最後の一枚はこれ。元は何かの基壇か、塀の台座だったのかもしれない。角は欠け丸みを帯びている。積んだだけのレンガはそちこちが崩れ、何れ壊れてしまうのだろう。