百年記念塔チカホ展 その② コルテン鋼と構造


記念塔の表層は『コルテン鋼』で覆われている。写真は当日に展示しいてたサンプルだ。一般の鉄は生じた錆が浸食し基材は朽ち果てる。対してコルテン鋼は錆は安定した層を形成し基材を保護する。


サンプル中央に刻まれた深い傷が輝いているのが分かるだろうか?錆は進行せずに基材は変わらずに輝く。これがコルテン鋼だ。

多くの人は、この錆を見て「老築化」していると考えてしまう。記念塔建設時には新素材ではあったものの、今ではチラホラと採用事例を見る事が出来る。

ツルツル、ピカピカを好む人の趣向には反するかもしれないけれど、自然な木目や石目、塗壁の表情を好む方なら、この自然発生した錆の表情に代え難い魅力を覚えるに違いない。身近な素材にも関わらず「鉄」の表情を楽しむのは難しい。魅力的な材料ではあるけれど非常に高価でもあり、なかなか採用に至らないのが惜しい。

高耐久性鋼材であり、百年を期にした塔の外装として相応しい材料選択がなされている。ステンレス鋼やアルミニウムを用いたのでは敷地でもある森林公園にはギラギラとし過ぎ反するだろう。一般には耐久性の高いとされるタイルはメンテンナンスを怠れば剥離を免れない。マンションの保全にお金がかかる理由でもある。


コルテン鋼の外壁は内部の下地に溶接接合され、50年の寒暖を経て歪みは生じているものの、基本は健全であると考えられる。近年は意図的になのか、塔はメンテナンスを怠る事態が続き、役物の一部が落下する事態を生じた。どうやらこれを「老築化」の根拠としたらしい。

例えば数年前に札幌市役所の地下食堂前の庇が大きく剥がれ落ちている。事態はより深刻なのだけれど、こちらは「老築化」を理由に取り壊されてはいない。何故か?修繕出来るからだ。


肝心要となる構造体は、昨年7月の視察にて私自身も確認している。50年の時を感じる事のない健全な状態が今も維持されている。この状況を見て余もや「老築化」とは呼べない。


塔内部には施工時のと思われる足場が確保され、下地と外壁の溶接個所の全てを確認する事が出来る。恵まれたメンテナンス作業環境が在る。

北海道が解体根拠とした「老築化」を探せない。

昨今は『数十年先の維持費と解体費を比較して解体費の方が安価だ』と報じられる事が多い。合理的な判断としたい様子ではあるけれど、この論理が通じるなら、時計台も道庁も解体するのが安価で合理的!となってしまう。良いのだろうか?つまり、世の中の殆ど全ての建築は解体する事が合理的になってしまう。

判断は建築に関係なく下されたと考えられる。政治的に行われたのだろうか。つまり、誰かの都合が優先されている?解体問題の核心はここにある。


以後は私の感想に過ぎない一文。

開拓記念館が北海道博物館と名称を改めた頃、白老ではウポポイが聞こえていた。北海道の預かる「開拓」施設は記念塔と開拓の村が残る。開拓の村の建築もメンテナンス費用を比較すれば解体費の方が安価であり合理的とされる将来は想像出来る。政治的に『開拓』を無かった事にしたい人達が居るのではないか?と疑わしい。

無かった事にしても歴史は変わらない。「開拓」が問題であるなら尚、残す事で話し合う機会を作る事こそが欠かせない。北海道の人の多くは開拓者の末裔だ。3代~5代遡れば何方も本州所以になる。開拓は楽な事ではなく、数回の機会を設け行われ、その度に絶望的な原生林を切り開いてきた。これは開拓記念館(現北海道博物館)に詳しく展示がある。自然の恩恵を思えば開拓自体の良し悪しはあるだろう。ただし、今現在は人の住む大地でもある。過去を「無かった事にする」のではなく、知る事が最も大切だ。

記念塔は多くの人の生活の背景にあり、既に無かった頃を想像する事が出来ない程に馴染んだ存在だ。北海道にとって歴史的な建築物であり、道民の多くに既知の建築、北海道を象徴するランドマークに違いない。

百年記念塔は全国規模のコンペで選ばれたデザインだ。当時はお祭りのような賑わいの最中だったに違いないのに、選ばれたデザインは錆を纏う黒々とした質素でスレンダーな塔だった。よくも正しくこのデザインを選定できたと驚かされる。

政治的な思惑は後に明かされるだろう。この年末に小樽運河の経緯を伝えるテレビ番組があった。小樽は?と聞かれれば「運河の街」と今は答える事が出来る。運河保存運動の頃の運河は廃れ汚れ、衰退の象徴だったに違いない。半分ではあっても残す判断を得て改善され今がある。番組では当時の政治も明かされてた。無かった事にして綺麗にしてしまえば、今の小樽は個性を失った一地方都市に貶めていただろう。

建築や町を消し無かった事にしては何も始まらない。寧ろ損失は大きい。時はお金では買えないのだから。今を受け入れ持続する事で初めて歴史は継続する。それが語らう場をつくり、将来を見据える事が出来る。時に建築はその責務の一端を負う。記念塔はその責を宿命付けられた建築であり、資質を認める事が出来る。「考える会」は道内の建築技術者の総意として残すべきと意見している。

老築化とう言う根拠は危うく、コストから合理的と称し建築を否定し始め、道民の多くが知るランドマークである百年記念塔を無かった事にしたいと動いた方々があるとすれば、後に責任を負えるのだろうか?今は数々の痕跡がネット上に残る。将来、経過や過程、思惑が明るみに出る事は比較的容易だろう。失う前に正す機会が望ましい


■記事一覧
百年記念塔チカホ展 その① 報告
百年記念塔チカホ展 その② コルテン鋼と構造
百年記念塔チカホ展 その③ 展示風景