講義する。


記念塔の設計者である井口さんが亡くなられ、数日前に「偲ぶ会」が催された。幾つかの経緯とF先輩の想いもあり、発起人に名を連ねさせて頂いた。90名程が集う夜となり、様々な方にお会いする機会となった。

私は隅っこで大人しくしているつもりだったのだけれど、会の後半に司会をされていたY先輩が私を見つけ「模型もあるし話すか?」と言われ丁重にお断りした直後にマイクコール、何の準備もなく突然にマイクを渡される恐怖。折角なので、井口さんの遺影の前で語らせて頂いた。


そうそうたる方々が集う中で、なんで私が?何だけれど、記念塔のデザインについては現在、私以上に理解している人は居ない。以前に高校の同級生と製作した模型、製作したパースにドローイングも展示していたので、簡単に紹介をさせて頂いた。


この夜の会を主体的に企画されたのは同窓の3人の大先輩達だ。どういうわけか、おそらくは私は可愛がって頂いているのだと思う・・・言葉を変えると、虐められているとも言う。何せ無茶苦茶で、今なら、あらゆるハラスメントに該当するぞ。



 そもそもの始まりはY先輩の電話。
長々と理路を説明され「説得力のある図案」が必要だと同意を強要される。逃げ道を塞がれた上での大先輩の相談、実にズルい。2,3日で出来るよね?・・・つまり「パースが欲しい」。ところが直後に実施図面(A1サイズ。A3サイズのコーピー機でスキャンした4枚のPDF)が何十枚と送られてくる。貼り合わせて一枚にし十数枚の図面にして解読するだけで2日は経過した。

もっともシンプルで、通常の実施図面には無い種類の図面が形態デザインを指し示す図面で、中央にはあの曲線の数式まで記されている。その図面を見つけ解析し、忠実に造形を再現してみせた。

その3Dモデリングデータを高校の同級生が知り、3Dプリンターで印刷するに至る。言い出したものの彼も3ヵ月程だろうか?地道にパーツ分けしてプリントし、見事な1/100スケール、全高1mの模型を製作してしまう。この歳になって高校時代の同級生と協同作業をするとは実に楽しい時間だった。

ギャラリー展
ある日、K先輩からの電話がなる。「暇か?ちょっといいか?」と連れ去られ、ギャラリーを訪ねる。私には何の相談もなく、目の前で坦々と日程が決められて行く・・・ドキドキのせずには居られない時間を過ごし、帰り際に一言「任せた」と。

なに、なに?何が!? 何を? 誰が?

どうやらは私は記念塔にまつわる展示を任されようとしていた。建築家、設計者の性、「場所」と「要望」が決まれば「設計」が出来る。少なくとも「計画」は出来るので、その夜に思いついた一案をパースで提案をする。

ところが翌日、F先輩からの電話で「違う違う、写真がたくさんあるのでそれを飾るから!」と。それは意図しない展示、その内容なら私がする必要もなく、「出来ません」とお断りする。

ただ、ちょっとキレ気味に電話を切ってしまい、悩む。

K先輩に電話をすると、「Y先輩は俺が何とかする。お前の好きにやれ!」と言う。・・・あれ?好きに?

Y先輩にも「F先輩と一戦を交えてしまった。」と相談をした。すると彼は「そうか!やったか!」と嬉しそうにケタケタ笑いだした。

オカシイでしょ?後輩の神妙な心配を前に笑う?

そして肝心のF先輩からの電話。「任せた!」といつもの軽快な声。

あれ?私は一度も「ハイ!」とは返事をしていない。していないの、どういうわけか、3人の先輩に転がされた結果、結局は取り組む事になってしまう。

突如の2週間は寝ずの必至の仕事を費やした。何で私が?というクエスションマークが頭の中に一杯だったのけれどね。

形態図示図面を解析し、造形加工の変遷を3Dで表現したダイアグラムは井口さん本人にも見て頂いていて、その理解に間違いの無い事、また、模型は素晴らしいと話されていた事は歴史家のK先生が後に丁寧にお話しして下さった。

K先生に救われる。大好きですよ、K先生。先生が居なければ、私は3人の先輩に無茶苦茶されただけだったもの。

展示した製作図面は全て新規のもの、しかも自分の設計ではない。その枚数は卒業設計並み!それをパネル化までしたので10日程で仕上げてしまった。それを塔の設計者に観て頂き評価までされるのだから、本気で挑めたことに安堵する。

チカホ展
ある日やはりK 先輩から電話がなる。「ちょっといいか?」と。「ちょっと?」・・・連れられたのはチカホで、つかつかと先陣切って歩きだし、勝手に「コッチか?アッチか?」と言い出す。

この人は何を言っているのだろう?

「コッチ」って何が?「アッチ」て何なのよ!何が?何?ココで!?誰が?私が!?


もうこの段階では相談などまるでなく私に委ねるのが決定事項となっていて、当然の様に展示をしましたよ。

歩くには十分ながら、やや薄暗いチカホ空間。どうプレゼンテーションすれば見て頂けるのか?試案の末に借りれるだけスポットライトを借りてきて、鬼のように模型を照らした。灯った瞬間、チカホの中で最も明るく記念塔の模型が聳え立った。その瞬間から通行する人が振り向き、数多くの方が立ち寄り見て頂けたのだと思う。

ギャラリー展でもチカホ展でも写真は飾らなかった。模型を見て道民、市民はそれが記念塔だと理解している現実に感動を覚えた。50年もの間、ランドマークとして親しまれた証だった。子供達は素直で、わーと寄って来ては「かっこいい」と言う。

子供に「カッコ良い」と言わせる建築を設計して下さいと依頼されたなら、相当に困るだろうな。


今の私の最大の問題は、何故?解体されたのかを説明が出来ない事。老築化?塔体構造は見事なまでに健全で、外装溶接個所は内部足場から全てを確認できる最善の状態。解体費用と維持費を比較すれば、道庁になど到底敵わず。日常の光景として親しまれてきた道民の「財産」を守る方法を探るのではなく取り壊す判断は「政治的」にしか行えない。



F先輩、K先輩、Y先輩は、何と言うか同窓の長老3人組だ。北海道の建築家の重鎮でもある。それが3人揃って私には無茶苦茶をする。その愚痴を聞いて頂くなら、それは井口さんに他ならない。彼等が若かりし頃に集い、様々を教わったのだそうだ。どうせなら、「後輩には優しく丁寧で親切にしろ」と律して頂きたかった。告げ口できる方を失ったのだと思う。

私自身は実は井口さんとは面識がない。井口さんの個展展示のお手伝いもしているし、井口事務所に居たK先輩の事務所にも居たのに、記念塔の2つの展示に主体的に取り組んでいたにも関わらず。本当は何故、そう決めたのか?質問したい事がまだ残されていて、その機会も失う。

ただ、一連の創作を通じ、これは設計者の確認を得ずに製作したパースや模型は二次創作品なのだけれど、寛容に否定はされず、寧ろ正誤を正し「素晴らしい」とまで言って頂けた。

世代を超えて、真摯に向き合った成果のみ、「建築」を通じた確かな交流が出来た事は貴重な経験で、とても嬉しい。

この様な機会を作って下さった先輩方に感謝しております。
※でもね、無茶は止めて欲しい。