更に、『葉』を観察した。

『葉』光合成工場としてエネルギーを生成する。光合成とは光エネルギー化学エネルギー変換有機物質を作り出す反応で二酸化炭素から炭水化物を生成する・・・wiki調べです。「地上に太陽を!」は核融合、恐らくは近い将来の最も有望なエネルギー源に違いないけれど、生物が数十億年前に勝ち得た方法は現地球環境を構築した上に未だ人には想像も出来ない最先端のようだ。再生可能エネルギー?・・・フッと葉緑体さんに笑われてそうな。

葉の観察は、葉脈と道筋を眺めてみた。

①ナナカマド


葉で生成された炭水化物は直ぐそばの細い葉脈から背骨となる主葉脈へとつつがなく運搬が出来そう。極めて合理的で機能的、流石は洗練の極みのデザインに見える


②モミジ

7本の葉脈で作られる葉、その根元は一面になるのだけれど最短ルートが分かり易く、葉形状の流麗さを求めたのみではなく機能性も併せ持つ流石のデザインに見える。


③カツラ


7本の細い葉脈の間は葉先で広がり経路は複雑に絡まり・・・混乱しそう。どの経路を選ぶのか?何となく空いた道を選ぶのかな?方法はあるのだろうか。

少ない材料で最大面積を求めると「円形」は合理的な選択だ。しかし、構造を考えると悩ましい。そこで手の平を広げたような葉脈形状となるのだけれど、これを「掌状脈(しょうじょう‐みゃく)」と呼ぶらしい。

運搬動線も兼ねる構造の最適解は無く、形状保持のために葉厚を増せば本末転倒、よって細い葉脈で薄く作れる、軽くて小さな円い葉を選択し、とにかくたくさん持とうと考えたのがカツラの生存戦略に違いない。つまり、円に拘ったのが「カツラ」だと言える。

もしも構造や動線の効率化を合理的に解けば機能的な違う解答を得ただろう。けれど、それではカツラではなくなってしまう。洗練のナナカマド、華麗なモミジの横で、彼等をちょっと羨ましく思いつつも懸命に多数の小さな円い葉を輝かせているカツラの拘りは、それはそれで美しいのかもしれない。拘り故の拙いデザインが実は可愛らしくもある。

カツラは花の形状からも、とても古いタイプの植物だと考えられている。でも、今はそこらの山に自生する、成功したデザインの一つだ。それが、決して効率や合理で得た成果ではなく、拘り抜いて勝ち得ている(ように見える)だとすれば、自然も捨てたものではないなと思う。


■興味
カツラとモミジの「葉」はどちらも7本の葉脈で構成されていた。これは興味深い。背骨となる主葉脈の無いタイプの葉では7本は多勢なのだろうか?人の指の様に5本ではなく7本である事に有益性があるのだろうか?

円形は効率的ではあるけれど葉脈の広がる葉先の動線は複雑になる。そこで割き別れし展開したのがモミジかもしれない。理想ではなく現実を勘案し臨機に応じただけ?なのかもしれない。それなら、とても面白い。

興味が続けば、また何処かで何か気付く事があるかもしれない。


■設計考察
植物やら葉やらを観察しても、そこは植物学を学んだ事の無い私は「建築」的に考察してしまう。学ぶならもう少し理解されている部分があるに違いない。私の思考に合う本はないものか。

通常の設計ではやはり「ナナカマド」的合理性を求める事は最優先になると思う。いきなり「モミジ」を志向してしまうと、法的、構造的そしてコスト上のあらゆる面で直ぐに破綻してしまうのは明らかだ。実際の敷地の特性から何か拘るべき価値を見つけ育み求め続けたなら、せめて「カツラ」には近づけるのではないか?と希望を抱く。同じ7本の太くはない葉脈のみで構成する葉を思えば、諦めずに冷静に求めたなら華やかさにも至れるかもしれない。