春の中島公園の木々 その① ナナカマドにしてやられた!

春先にナナカマドの葉の開く前の葉群セットを見て以来、何かに火が付いたように興味が膨らんでしまう。本当は、週に2度3度通うくらいなら研究者になれるのかもしれない。実際に週に1度行くかどうか。出来れば、行くなら晴れの早朝が良い。

春も終わりかなと、晴れた朝の6時前に中島公園へ行く。人が作っただろう公園に植物を見る為に私としては頻度良く通う事になるとは想像もしなかった。そして・・・


この春に最も興味を覚えた、切欠となったナナカマド。先端に1枚、4枚対、5枚対、6枚対の葉群は計9枚、11枚、13枚あるとしった。ネット情報では15枚もあると知り、それを探してみようと訪ねて見つけたのが、7枚の葉群だった。

なんだ!? 人工の場合、何かしらのストレスから派生したのかもしれない。これだけが変則かと思えば、幾つも7枚組が見つかってしまう。

ネット上では7枚の書き込みは見かけていない。ひょっとして、新種か!!・・・そんなわけないか。昆虫、植物、おそらくは動物全般の学問の基本は区分分類する事だろう。ナナカマドがどういう判断で葉の数を制御しているのか?誰も知らない。でも、そこに何らかの、本当は知ると何かを大きく助けてくれそうな秘密があるような気がする。まぁ、単純な理由に違いないのだろうけど。


ナナカマドの葉。秋に色付く頃にしか見なかったけれど、今時期は虫食いもなく鮮やかで綺麗だ。


懸念の15枚組、発見。大きな木は15枚組が多勢なのかと思えば、直ぐ傍には11枚組が見える。


今の私は、ナナカマドを見つけると数え始めてしまう病にかかっている。15枚組、たくさんある。ひょっとすると17枚も存在するかもしれない。

生存戦略として葉群の数は臨機応変だと思っていた。けれど実際は単に、「自由」に見える。使えるエネルギー、水、光、昨年までに得た体を使い、空間を葉で満たすための方法は自由。仕組みが確かなので、それで良いのかもしれない。


春に森を歩く人なら必ず見た事のあるコレがナナカマドだと知っている人は多いのだろうか?常識?水膨れするようにブクブクと育つ水芭蕉なんかの横で縮こまっている。今年はこれがナナカマド?と気付いてしまったのが切欠だった。

観察していれば何か自然のルールの一つがわかるかも?と期待していたけれど、7枚組を見つけてしまい、想像は大きく崩れてしまった。この写真の確かな機構は素敵なのだけれど、ルールはココまでで基本は「自由奔放」のようだ。

中島公園で見る、例えばカツラやイチョウのような古そうな木に比べ「洗練」を感じる新しそうな木は、洗練故に自由を獲得しているのかもしれない。カツラなど不器用そうだし。


随分以前に、葉の展開時に撮った一枚があった。繊維が纏まった状態の春、暖かと水を得て展開するのか、下方の枝と葉から開く。私が週2か3で足し気に通っていれば、こういうシーンが見られただろうに・・・あれ?葉の形が違う気がする。これはナナカマドではないかもしれない。では、どう開くのだろう?確かめるには来春まで待たなくてはならないか。


ちなみにコレが花のようだ。