【整理】植物考③ 『カツラ』


私には昔から好きな木がある。それが『カツラ』だ。自分自身で初めて全てを決め人生の岐路に挑んだ大学時代の「卒業設計」、思考の最中は秋に帰省し、故郷の町にあるチミケップ湖を訪ねた時に出会った思い入れ深い一枚。

晴天ではないものの、燃える様な映像が眼前にあった。その正体はカツラの木で、燃える正体は大木にも関わらずとても小さく円い、或いはハート型の葉だった。

エネルギー工場としての葉は、既に日照は乏しく冬支度を前に水を絶たれ緑を失い落される直前にもの、それが曇り空の下で燃える様に淡い天空光のみにも関わらず輝いていた。

そのデザインは被子植物類の広葉樹では古い一種だと思う。ナナカマドや紅葉に比べると、葉を大きくしたカシワと同時期ではないだろうか?小さな葉で何とか空間を埋めて受照しエネルギーを得る仕組み築き、今も野山で聳えている。



『カツラの枝葉』

樹木を下から眺める事は稀だろう。特に春のまだ疎らな時期でなら、その機構を良く観察する事が出来る。茂りだすと周りも騒々しく、観察は難しくなる。秋なら散り際の寂しさが際立つかもしれない。

カシワの木が少なくとも大きな葉をなんとか展開しようと足搔く隣に、とにかく小さな葉を密実に展開しようとするカツラの木があったりする。葉は小さく風雨の負荷は少ないので細く伸ばした枝に群れを成している。

目線では密実でカツラの葉?に見えるのだけれど、では、どう展開しているのかを眺めると、実に拙い様が見て取れる。必至に「葉」を設けていた。出来るだけ簡単に葉を多数設けるに徹した生き様が心地良いのだけれど、それは動的で昆虫の手足を思わせた。

太い根本の枝も、細い先端の枝も、対を成して葉を携える。後にもっと大きく伸び開くのだけれど、小さなハート型の丸い葉は鬱陶しくなる程に春に茂り始める。



『カツラ・モデル①』

動的で昆虫の手足の機構を思わせる姿に心奪われ、その造形を自分の想像でカタチを与え造形を試みた。



『カツラ・モデル②』

俯瞰する。



『カツラ・モデル③』

見上げる。



『カツラ・モデル④』

横から眺める。



『カツラ・モデル⑤』

枝の根元から先端を眺める。



『カツラ・モデル⑥』

真横から眺める。



『カツラ・モデル⑦』

真上から。


素朴な佇まいが好きなのかもしれない。洗練された粋の先のデザインで今を生きるのでなく、古風で拙い手法で使い慣れた機構を持って今も生きる様が、それでも綺麗に見える不思議、その実力の様を思い、勝手に造形する。

葉の付く単位を「一節とし」、一節に対の葉を最小単位に機構を想定した。葉の揺らぎは薄い鉄のしなりを利用した柄を設け、その柄は枝部分では回転支持で肯定しバネを用いて前後の可動を制御している。この節を連結し、個々には上下に支点を設け糸を通し、上下で緩め締めする事で形状を保持するモデルだ。

今はまだCAD上での構造物。時を見て、自体=模型を製作したいと考えている。出来上がれば芸術作品にでも成れるのではないか?とも思いつつ。建築技術を理解、想像、実践に応用し、嘗て焦がれた「自然」の存在を再構築する。

紅葉のみならず、自然を鑑みて学び始めたなら一気に世界は長大で畏れ多い。