【整理】植物考④ 『松』

毎年秋に『栗』のお裾分けを頂くお隣さんの庭には松の木も茂る。それは既に3階の窓に及びぶつかっている。あまりの元気の良さ、あまりの近さ、あまりに印象的な光景だったので写真を撮ってみた。すると、実に興味深い形態デザインに出会ってしまう。

気が付いた自分が素晴らしい・・・のか?

裸子植物の現代的進化は氷河期が多勢の、ニュース報道では「気候変動!」と騒がられている精々100年単位では想定も出来ない時間スケールで繰り返されていて、間氷期には裸子植物が多勢になったとしても、基本は実は「松」類が地表の樹木の主役に違いなく、地上に初めて生を育んだ極めて古い種の子孫の生存方法に考えが及んだ。

自身の保全維持成長のためのエネルギー製造工場足る『葉』を季節毎に開いたり落としたり、種を繋ぐために花を咲かせ、昆虫や鳥などを使い受粉したり種をまき散らしたりと複雑な仕組みを要する植物界の新星の被子植物類より遥かに古いスタイルで、では、どう生き抜く成功したデザインなのだろう?



時間が経過すると、葉は2列に並び出す様なのだけれど、夏場の伸び盛りでは、先ずは必至に伸びる。枝進捗方向に対し四方八方に、とにかく「葉」に見える突起を展開する。

ところが、その『葉』に見える部分を良く観察すると柄があるわけでなく、枝から剝けている様に見える。『あれ?』と気付き、検証を試みた。



色を付けて区分してみた。松は『枝と葉を区別していない。』現実を観察する。

驚いた。『松は一つのピースで出来ている。』かもしれない。

この発見は、アトリエの窓の外で手の届く範囲での事だった。その興味の前に私は、一つの罪を犯してしまった。まぁ、窓の開閉に支障もあるので仕方ないとしても、枝先を、お隣さんに断りもなく切り落とした上に、とうとう、解剖観察してしまう。

枝部分は密実に結合され強度を得ていて、けれど重なり得た隙間は生じていて水を吸い上げ光合成で得た養分を逆に戻す仕組みが可能だ、カッターナイフで丁寧に剥がせば、やはり幹と葉は一体で区別が出来ない。

つまり、一つのピースで枝葉が出来ていて、その集積が「松の木」となっている。

これは驚くべき発見だった。なのだけれど、この現実を検証しようにもネット情報レベルではまるで出てこない。科学は昆虫もそうなのだけれど、生態解析ではなく『区別』が基本であり、ファーブル的な理解は別の様。それは極めて難解で及ばぬ人知に違いない。実際、私の疑問を正しく知らせてくれるだろう人を探すのは極めて難しいに違いない。

洗練の粋、多彩なデザインを可能にした被子植物類のデザイン性とは真逆の、古典的で拙い術を最大限にした最小限単位でデザインされた現代でも多勢の裸子植物の樹木、一つの完璧な単位をデザインしただけで達成する完成された機構、生命とは?素晴らしい。