幹が葉なのか、葉が幹なのか?

夏に盛大に伸びた様々は秋を迎え色付き始め、気付けば窓に迫りくる勢いの松の若い枝葉。


針葉樹の常緑種の色付きは実は綺麗だ。その姿は、春先に中島公園で観察した広葉樹の枝葉の洗練された展開に比べると野性的に空間を埋める。


枝葉の先端を眺める。広葉樹は、「葉」を光合成をし養分を生成するツールとして使い、維持困難な冬季には枯れ切り落とす。対して針葉樹は冬期も維持するので堅牢な構造が必要、どこか武骨だ。

眺めていて、あれ?と気がつき拡大してみた。

『葉』に見える部分は実は「幹を形成する被膜」の先端が括れ外に開いたモノに見える。つまり、幹の先端の一部が「葉」のようだ。

或いは、葉に見える部分は氷山の一角で実は長く、大部分は巻き付いて幹を形成している。つまり、葉に見える部分は実は「幹」かもしれない。

若く柔らかそうな今なら、ユリ根を剥くように剥がせそう。葉が幹と一体の可能性が高いのだけれど、剥いた事が無い。確認してみたいな・・・知っているはずのものが実は未知とは驚く。松の木は『葉』で出来ている。或いは『幹』だけで出来ている。

それはつまり、一種類のピースだけで木を形成しているのかもしれない。だとしたら実に合理的で賢い選択に見える。


「一種類のピース」とは、この様な具合だろう。


「一種類のピース」が集まると「枝葉」が出来上がる。



生物的に後発の広葉樹は各部の分化が為され花も開く。複雑な構造故にデザイン性に富む。対して古い針葉樹は単純さこそが生き抜いてきた理由かもしれない。松ぼっくりなど生殖部分は別として、幹や葉は同一で完璧な一つのピースで出来ているなら、かなり面白い。そういう設計にも憧れる。

私の想像は果たして正しいのだろうか?確かめようがなくて困る。誰に聞けば良いのか、何の本を読めば良いのか、疑問ばかりがフツフツと沸き起こる。今は、凄い発見をした気分であった。