光明寺設計物語【2017.10.04】設計契約

事前に約束は在ったものの、設計契約はこの時期、
遅くの取り組みとなった。
正式な契約書面を交わし、今に至る。

施主は建築に至るまでに設計契約と施工契約を
行う必要がある。設計施工の契約は一本となる。
設計施工にもメリットはあるのだけれど、
優良な会社を選べなければ言いなりにある契約だ。
設計者という第3者の目が無い場合は、施主自ら
判断をしなければ成らない。先に書いた見積、
酷い場合は坪単価算定でオプション追加の一枚の
紙切れで契約に至る事があるのだから。
設計者の監理を受けない施工は施工者都合が
優先され、建築に無知な施主を誤魔化す事も出来る。

設計は委託契約となり、施工は請負契約となる。
これは非常に重要な違い。誤解される人も多い。
設計者は施主の代弁者としての委託であり、
施工者は工事を請け負う契約となり異なる。
以前に設計者に請負責任を求める方が在った。
これは参った。設計者は図面と相違が無いか、
監理する立場であり、工事を管理が出来ない。
サラ監理といい、設計者責任がある。

設計者が現場を管理しだせば混乱しかない。
責任所在を明らかにし、負った責務果たすのみ。

また、契約は対等の関係に他ならない。
勘違いされる施主には、お金を出すのは自分、
だか言う事を聞け!という殿様タイプもある。
お客様に徹する施主に有り勝ちで損をする類だ。

設計契約は、設計者は相応の報酬を得て
業務を全うする。サービスはしない。
工務店レベルでは設計はサービスとして
見積に計上しない所もある。それは間違い。
見積計上しないだけで、営業や設計者が
ボランティアをするわけがなく、隠されて
お得感を与えるだけの事。

真っ当な設計者は当然、その報酬を求める。
その対価として設計を提供する。
対等な立場とは、施主は施主の代弁者として
設計者に委託し、設計者は施主の代弁者として
その能力を提供する関係となる。

御用聞きではない。建築知識は専門であり深い。
私の設計スキルは更に感覚をも求めている。
施主の言葉を建築にするには私の言葉、
建築の言葉に訳する必要があり、出来るのは
そのスキルの在る者であり、故の契約だ。
以後、施主は自分の要望を屈託なく伝える
事が出来るし、私は思索を図面に反映させる
事が出来る。場合によっては当然、施主の
要望の不可能性も説く事も行う。
最良の建築を求めて。

と言う事で、私はこの日、お寺と契約をした。
責任の大きさを実感する日だった。
またボランティアではなく権限のある事も
覚悟をする。ボランティアは無責任だしね。
無料の設計など、無責任に他ならないし、
契約が無ければ代弁者には成れず、施工者と
対峙した際は無視される事も当然となる。

設計報酬は確かに頂く。安請負をすると、
頑張る程に実入りが少なくなる。間違うと、
コンビニでアルバイトする程度の単価に
なる事も在り得る。安く済ませられれば
それは施主のメリットになるかといえば、
コストだけを重視すれば宜しいけれども、
誰がアルバイトに今後の生活の場となる
建築を任せるだろう?優先順位を間違うと
本当に危うい。
仮にそういう契約の仕事なら、私も徹底的に
仕事を省き楽な設計に徹する事は出来る。
でも、そういう仕事に価値は見出せず、
それを前提した建築は退屈なだけだ。
納得し満足頂ける設計を求めてこそ。