『 糸 』

『 オヒョウ 』という雑木がある。適当な写真を探せなかったので・・・これは検索すれば直ぐに特徴的な葉の形状がわかるだろうと思う。私でも森の中で直ぐに見つける事が出来る、北海道では一般的な樹木だろうか。

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解説はちょっと間違っているかもしれないけれど、忘れない内に整理しておきたいと思い立ち、先日又は以前に訪ねた平取の二風谷の博物館で撮った写真を交えて記してみる。オヒョウの木をまず、煮る。

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そして、皮を剥がす・・・だったはず。

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この皮を10日間水に浸す。十分に水分を含ませないと次の工程で無理が出るらしい。

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十分に水に浸した樹皮を煮る。繊維だけが残るらしく、これを割いて細かくし、その繊維をよれば糸が出来上がる・・・はず。

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この様な見事な糸が出来上がる。木の皮から出来てしまう。煮る際は今は薬品を使っていたはずだけれど、それも何かの代用だったと思う。灰か何かを足すんだったかな・・・

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この糸を使って編めば、袋が出来上がる。

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特に細い糸を織れば布が出来る。その布で作られた服をアットゥシと言う。木の皮で服が出来てしまう。

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これは『ガマ』という水草

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これを編み込めば敷物が出来る。ここでも樹皮製の糸が使われる。チセの土間の床も、このように敷物が敷かれるだけで一気に居住性が増すように思う。かなり丈夫なものらしく、このチセの玄関先の一枚は6年使われているとお聞きしたけれど、全く痛んだ様子もない。ただ、この一枚を全て作るには1ヶ月は掛かるのだそうだ。糸からだしね。

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祭事の際や迎賓の際に用いられるこの敷物は更に手の込んだもので、草木で染めたものを編みこんだ特別なもの。幾何学的な文様は記号にも見えるし、その素朴さはギャベにも似るし、調べるときっと奥深い意味が様々にあるのだろうと思う。


茅をばらばら敷き並べるだけの床ではなく、きちんと編んだ敷物が生活を支えていたのかな。この日は茅を糸で編みこみ簾を作られていた。製作に必要な錘は川で拾ってきた中央に窪みのある石を糸で吊るして使われていた。写真を撮らなかったのが勿体無い。

糸は各種道具の携帯時の紐にもなるし、弓の弦にもなり、鏃や釣り針を木の棒に固定したり、漁に使う網など様々に使われていた。

縄文時代・・・今から2000年以上昔だけれど、漁に使われた錘は糸を結ぶ窪みのある石が使われていたらしいし、好きなつまみ付きナイフ(石器)は携帯時に紐を結ぶ事が出来るし、直接的に紡錘車なる土器もあれば、勾玉やヒスイ、貝輪などの装飾品は糸を通す穴がある。アイヌ期はもちろん、道具や装飾品の材料が変わっても現代も似たようなものであると思えば、文化的な生活を送っていたのだろうなーと容易に想像が出来てしまう。糸が無ければ、文化的な生活を送るのは難しかったのではとすら思えてくるに至り、『火』や『石器』とならぶ重要な発見・発明が『糸』ではなかったのか?と思う。そして、火や石器等の道具に比べると、糸はより工作技術が求めらるという意味でも文明の利器そのものに思えてしまう。靴紐を縛る時、あんまり変わってないのかな?とも思えるしさ。

建築の接合で「糸」を使った経験は殆どない。以前携わったテント建築のテント地同士の結合で使った糸というか紐を経験したぐらいだ。