【2020.07.01】早、夏なのかもしれない。

ニセコで取り組んでいたプロジェクトは本来、今頃は建築が始まり設計監理に奔走している予定だった。昨年末から年始にかけて方針を一大転換し、心新たに細心に取り組もうとした頃に、世界を混乱させる事態に遭遇した。それら設計を終えて向かうはずだったバンコクへの旅、それを堺にして自体が急変してしまう。急ぐ事が出来なくなり、プロジェクトは順延となった。それでも、詳細を設計しているものの、一度スケジュールを組んで挑む時というのは、自分自身の緊張を創る事が最大の事になる。緊張が途切れたなら、設計時間が同じ際は標準的な仕様を求めるのが精々になってしまう。その程度の設計内容で最初から取り組むならもっと簡単に設計を終えてしまえる。何とか、出来る最大限を果たしたい。

ただ一度、緊張の糸の切れるのを実感してしまった今は非常に困難に直面している。

平面、詳細な断面、展開・・・各部のディテールを検討しつつ想像し意匠図面に落とすのは本当に困難な仕事になる。一つ変更すれば全てが変更になる。ドア枠一つの詳細すらが全てに影響する。それでも、ドア枠一つを整理洗練出来ればより線は少なくなり、綺麗に見える。

 


住宅の設計が好きなのは、どこまで徹底しても把握できる許容範囲にあるからかもしれない。全ての細部に気持ちを込める事が出来る。出来るだけの時間を確保する。規模が大きくなると、油断すれば細部がバラつき始める。これはどんな建築家の事例を持ち出しても回避するのは難しい。平たく容易なディテールを求めるか、チームとして徹底できるか、それを監理時にまで及ばすのは並大抵ではない。今は1000㎡越えの規模、果てしなく細部が登場し、試練の時だ!

CAD図面を開く時は比較的ワクワクと始める。そして直ぐに難題に直面する。諦めずに調整をすすめ、そのうちに悩む点に幾つも遭遇する。その中の幾つかは容易に解けない問いであったりする。その問いを解かなければ先へ進めない重要な際は、他を進めても後で変更しなければならない恐れがある。悩みだし、解くべく時間を割き、出来ず・・・シャワーを浴びてる時とか、ふとした時に閃いたりする。そのアイディアを次に試すのだけれど、それが実は設定条件から逸脱していてガッカリしたり。それでも得たアイディアを検討する事で、採用出来ずとも視野は広がり違う解決方法を導けたりする。そういう繰り返しを何度も試みる事で次のステップへと歩む事が出来る。


しつこく粘る事、これは大学時代の恩師に徹底して教わった事。昨年秋に訪ねた建築がその実践事例を示してくれもした。何より、これまで携わった自分自身の設計がそれを証明してくれている。


・・・先日、【DOMA/道南の家】のオーナーから電話があった。本当は私が電話したかったのだけれど、出来ずに居た。昨年に竣工後10年を迎えた思い入れ深い住宅。オーナーの手打ち蕎麦が好きで、思わず遊びに行くので是非蕎麦を!と口が発していた・・・無理を言い申し訳ない。ある程度の予算猶予のあった設計、徹底したし、巡り合えた施工担当者との縁もあり、今でもその友情が続いている。昨年、敬愛する同窓の大先輩がその地方で施工者を探していた際に紹介させて頂くくらいに信頼を置く担当者。彼が居れば、オーナーが困った際にも適切な対応を頂け心から安心が出来る。話が反れたのだけれど、施工者との出会いは非常に大切だ。幸運にもこれまで携わった建築は、見積入札であっても見逃さずにこの人!を選ぶ事が出来た。どの建築も一緒に仕事をした人を信頼出来、それが10年を経ても、電話をすれば「あぁ、どうしました?」という軽快な応答を頂ける。

秋の新蕎麦の頃に、ようようと函館に遊びに行けるように、夏を乗り切らなければならない。こう、書き記してしまえば覚悟が決まるかな?と書いてみる。