日本海は早、冬の予感。

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写真を撮るのは設計に似ている。ちょうど敷地を眺め思案する時に似る。そこにあるものをどう使い、活かし、何を得るか。私の写真は、そこで感じたものを切り取るだけではある。

訪ねた場所は夕陽が綺麗らしい。先客が何人か居て尋ね聞くと、今日は雲が厚く夕陽が期待出来ないと帰られるところだった。

敷地を見る時、そこに期待出来る何かの在る事の方が稀だ。ただ例えば優れた眺望があり、その先に名山が聳えていたとしても、それだけでは環境は築けない。むしろ、そこにあるものを観察する。そこにあるものでどれだけ良好な環境を築けるかが特に重要になる。それに加えて眺望があれば素敵だ。曇っていたり、夜であっても環境の良好さに揺ぎが無い。

という事で、この日は期待するものは無かった様だけれど撮影を試みる。せっかく来たのだし、何かを持ち帰りたいし。未だ夏のと思ってみればさらわれそうな波の、冬の予感の有る海。遠くに厚く垂れこめる雲、僅かな夕陽の痕跡、それに薄く鋭い月があった。この月はカッコ良い。幾種か試したシャッタースピードは速いと波が写り、遅いと綿アメの様になる。貼った写真はやや速いもの、手前の波は流れいて荒々しさがあり、けれど全体では海のウネリが感じられた。空は透き通るウネリのような陰影はない。狭間に雲があり、浮かぶ薄い月を納める。

特別ではないけれど、人が振り向かない日常の中にでも、自分には今日の一枚と思える風景があった。

設計では、ここから人為的な操作を行う。操作したもの=建築に気持ちを込められれば日常の景観を特別な環境に出来る。建築の設計とはその挑戦の事であると自覚したい。

このような設計の課題は実際、幾らでも軽くする事が出来る。景観ではなく敷地のみを見たり、プランだけを見たり、部屋のあれこれだけ見てしまえば問題は度々軽く出来てしまう。世の中の多くはそういう建築で埋め尽くされていて、気持ちの良い景観を探すのは難しい。一つの住宅の設計であっても、設計課題は壮大にも出来る。挑んで勝取る事が出来れば、それに越した事は無い。だって、その方が楽しいし。

設計の際に見ずに小さな課題にしてしまうと、住み使い利用する時に改めて気が付いてしまう。特別ではない唯の日常しかなかったと。やはり、楽しさへの探求は怠らずに設計に取り組みたい。