除雪最中のゴミ収集に除雪車群。

ココは雪捨て場が極めて少なく歩道に積むしかない。一度諦めると、車を出す事が不可能になってしまうので除雪は継続が肝心だ。過去に一度、諦めた際の苦労はトラウマだ。

除雪車の作業では車庫や駐車場の出入り口に一定の配慮がある。雪山なら平然と置き土産は盛大になってしまうので、知らせるためにも除雪をきっちりしておきたい。

ただ、今年はまだ排雪がない。数日前に漸く入った!と思ったものの、道路の反対側だけで、しかもトラックが少なく、壁を崩しただけで終った印象だ。2車線道路の歩道側1車線は既に雪で埋まっているのだけれど、片側のみ1.5車線になっただけであった。

一気に固め打ちする今年の空模様は、我々を試しているのだろうか?

除雪作業は排雪まで追いつかずなのだろうと思う。除雪!の合図となる降雪量のある夜も既に雪を積むスペースがなく、道路の固い雪を剥がしたものを脇に寄せて1車線分を確保するのが精々となっている。

盛大な寒波が到来しているらしく風も強い。積もり切ってから除雪を始めると、暖かくもあるので雪は重く、とても私の体が堪えられそうになく、既に2回を終えた。ただ、狭いスペースしか雪を除ける場所がなく積んだ山は既に2mを越えている。

除雪車は道路と歩道があり、歩道の除雪車はそこに積んで行く。道路の除雪は縁を削り上げて行くので、私の雪捨場スペースは徐々に山と言うよりも四角い矩形に近づいていて、つまり私自身の除雪場所はその山の上になる。これが極めて困難、もうママさんダンプの登場機会がない。プラスチックのスコップを使って雪をすくい、それを跳ね上げるしかない。

この作業が相当に体にくる。腕でその作業をすると一気に腰を痛めるので、腰の回転を使ったスイングをする必要がある。何と言うか、ゴルフに近い角度でホームランを狙ってすくい上げるスイングが理想だ。その回転運動では利き足の右足が酷使される様で右膝が痛い。暖かいので雪は重く一層の負担を免れない。その結果、腰と膝を痛めた上に、痛みをかばった為にかギコチナイフォームになるようで体の全体、首も肩も痛く翌日には体中が痛い。

寒波の最中は、降り切ってからの除雪では明らかに困難なので、先ずは初日の夜に1度目、翌日の午後に2度目を行う。各々15cm程度の積雪量なのだけれど・・・私が除雪しているのは歩道と1車線分、建物玄関前とそこまでの歩道・・・公道じゃねーかよ。

頑張って除雪しても深夜の歩道の除雪車と、道路の除雪車の置き土産は配慮して頂いているとしてもしっかりあり、それらは固く大きく重く、そこまでを除雪するのだけれど、やっぱり大変である。

その2回目社業中の昼間、燃えるゴミの収集日で、それがいつも通りの午後だった。ココの建物前にはゴミステーションがあり、どういうわけか私が除雪を担っている。友人に聞けば彼の町内会では担当を持ちまわっているのだそうだ。

お隣さん等複数のお店もココのゴミステーションを使っているのだけれど、一度も手伝われた事はない。そればかりか路駐前提で営業で、私が除雪した車庫前スペースに平然と車を止める客は多数だ。その様な方々は平然と雪もゴミを残して行き、お店の方々は観て見ぬふりだ。そういう人達とはどう御近所付き合いをすれば良いのだろう?この歳になっても悩ましい。

自分だったなら?普段、御迷惑をお掛けしているので・・・としたいと思う。現状は迷惑をかけるのは当然だ!というあからさまな態度で気が滅入る。町内会には入っているので一度、相談してみようかな。苦情や文句を付けても反発されるだけでは解決はしないだろうし。

と、少し愚痴を書いた。

ゴミステーションは私の雪捨て場の中にある。先ずは必死に跳ね上げて積み上げ、その後にゴミステーションを作る。今日は作る前にやってきたゴミ収集車、二人の方が颯爽と現れ雪に覆われた箱の中からゴミを取っていた。何だか軽やかで素早く見事な仕事ぶりだ。

彼等は良く見ているのだと思う。ココはきっちり配慮しているな!とか、雪山のママでだらしないな!などと地域性を見ている違いない。お会いしたのは数回程度、互いに顔も覚えてはいないのだけれど、おそらく初めて「お疲れ様!ありがとう!」と声をお掛けをした。そういう言葉は普段は聞かないのだろう、「え?何?忙しいので!」という具合で無視するように去って行った・・・それはそれで、何かカッコ良い。

申し訳ない。次はもう少し作業し易いように除雪をしておきます。

2018年の北海道での地震、その後の全道停電の朝は収集日で、信号すら灯らぬ街の非常事態の中でもゴミ収集車は平常だったが実に印象深い。作業員自身も混乱していただろうに業務は確実、そこはプロの仕事だった。

例えば1週間も滞れば混乱し、2週間も続けばパニックは必至だ。日常生活において肝心なのは「衛生」なのだと思う。ライフラインである下水道が機能し、生活排出が機能するのは基本だ。今の寒気の嵐程度では、地震停電も平常だった彼等にとっては電車やバスが滞る事態でもゴミ収集は当然の事、稀にであった市民(私)に「お疲れ様!」と声掛けされたとしても、既に平然と次のゴミステーションは?と考えているのだろう。

一度は缶コーヒーくらいは渡したいと何度も思った事はあるのだけれど、渡す余裕など、まるで無いな。



と、書き込んで居たら窓の外を行き交うトラックの音。ようやく排雪が行われるのか!?と窓外を見れば賑やかな回転灯が多数、正に。
※写真は2年前の排雪シーン、トラックが次々と現れでは排雪車から積み込まれ、載せた後に走り去る。今年のは、やや中途半端な印象は拭えないけれど。



今宵の除雪をしてしまおうか迷っていたし、次の排雪は2月か3月のドカ雪後、それまでに出してしまえる雪はと考えた。だって、個人の敷地内の雪をではなく、歩道と車道の雪なのだし、それは社会的に鑑みても許容されるばかりか、済ませておかなければ。

悩ましいのは車庫前の歩道で、ココは人通りは多く常に踏みしめられるので、除雪を数度サボると車庫床レベルを超えて踏み固められてしまう。そこからの復帰は困難なので日々削り取っている。

排雪車は特殊な車両で巨大な除雪機と言う具合。必ずトラックが並走し雪を積み雪捨て場へと向かう。その後ろをグレイダー車が路面の雪を剥がし、その後にローダー車が続き除雪をして終える。やはりトラックは少ない様子で待ち時間は多い。目の前をグレイダーが小山を残して中断する。

どうせ残し物はあるのだし、明日?とは思ったものの大儀、今宵の内に済ませられるならとスコップ片手に待っていたら、後続のローダーの運転手は私を見ていた様で、かなり丁寧に雪を取り除いてくれた。それは流石に申し訳ないので身振り手振りで「宜しいですよ!」と伝えたものの、全くの感謝です。

せめてと道路側の路肩に残された雪山を、建物範囲ではあるけれど20cm程度は道路拡幅除雪に努めた。流石に重機の残し物は強烈に固く重いので大変だぞ。気遣っていた腰は一気に、体中を襲う過激な労、さて、どう癒そうか?泣きたい。

除雪作業時には必ず前後に人が配置される。人波を含む交通量の少ない時間が前提だとしても安全確認はやはり人が立つ事は欠かせない。吹雪の中で道路や歩道に安全確保に努める人は吹き曝される中に立っている。つまり、「人」が居る。当然ながら「プロ」であり「仕事」なので果たすだけだとしても、側にいて接近しているなら声を掛けない方が不自然だ。

と言う事で「お疲れ様です。ありがとう!」と声掛けをしてしまうのが私なんだな。でも、そこは人だ。過酷な環境でもあり、故に僅かでも交わすコミュニケーションは何かを温かくするには十分だと思う。「規模の大きな寒気だけれど降雪量自体は少なく助かってます!」だって。私の仕事の多くはヌクヌクとした室内の椅子の上だ。昨日今日は腰がヤラれ座ってられないけれど、それはそれで現実には極めて過酷なのだけれど(高価なオフィスチェアでも堪えられない程なのだけれど)、吹雪の深夜に身を曝して仕事をされている方があり、その仕事に日々が支えられているの目の当たりすれば、労をねぎらわないわけにはいかない。私の「ありがとう」が少しでも労ってくれるのだろうか?夏の平時にお会いするなら、その苦労話は楽しいのだろうな。

新聞や正義漢逞しいSNSなり動画サイトで、そういう人をつぶさに観察して報じるなら「価値」があるだろうに。過酷な時には取材しないのだろうな。72時間だっけ?うどんの自動販売機の番組は。彼等が気が付ける範囲ではなく、こういう人達を伝えたなら傑作だろうに。お話した彼は、昨日も今日も、天気予報に従い明日もなのだそうだ。正に番組にするべき72時間に違いない。序に、千歳空港の除雪隊やJRの線路保全隊、高速道路の保全隊まで、市民の日常を担保すべく人力されている人がいる。多くの人が寝ている深夜に朝の通勤ラッシュ前までにと必至に仕事をされている人達の労を、より多くの人に知らせて欲しい。



ちなみに、毎年秋に栗のお裾分けを頂く裏のお隣さん、御高齢の御婦人が住まわれている。降雪の際に、出られなくなってはいないかと心配になり、簡単にでも家の前の除雪を心掛けている。生活道路に面しているので公の除雪頻度は乏しく、直ぐに雪山が出来る。

実際は巧みな除雪具合で私の作業は余計には違いないのだけれど、軽減は出来るだろうし。軽減?何も言わずにしているので、私がしている事をお隣さんは知らない。ひょっとすると、降雪時に毎回、余計な事をするなっ!と、思われいるかもしれない。そのうち、答え合わせは出来るだろう。せめて頂く栗の分は何とかと思いつつ。