完了検査、引渡し

先週は水曜日に完了検査を受けた、光明寺の設計。
かなり苦戦をした確認申請であったこの設計も、
ようやく完了検査を受けるに至った。
4号建築を4棟揃え一体的な建築となるよう取組み、
準防火地域での大規模な建築において法的制限を
限定的とした設計だ。その分は設計の手間が多く、
結果、住宅類と同等の申請上の4号建築でもあり、
完了検査そのものは検査項目が少なく、あっさり。
あっという間に終わり、検査済証をその場で頂く。
この紙一枚がとても重要。これで建築が法的に
初めて公にする事が出きる。融資があれば、その
完成を公に認める書類となり、登記でも使われる。
設計者の法的責務を負える機会となる。


・・・4号建築の審査なら、設計者が立ち会わず
とも済ませられるだろうか、必須ではない。
でも、やはり立会いたく、これが最後の法的には
最後の監理業務でもあり、緊張を伴い札幌を立つ。
・・・はずだったのだけれど、十勝行きの朝は
いつも早起き。起きられるかどうかが先ず勝負で、
この朝も。そして目覚ましを止めた時に思った。
「良し!」と。これで最後の一日が始まる・・・
と、安心して再び眠ってしまったらしい。
目が覚め、驚いた。時間を見て。


一瞬で目が覚め、様々を瞬時に最善を計算し始め、
通例終日となっている非常に長い定例もあり、
冬場はJRに頼ってたこの頃、車ならまだ間に合う。
と思い立ち、走った。そして、検査予定時刻の
5分前に現地到着。
・・・計算されたかのような寝坊であった。


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土曜日には引き渡し。この日はやはり特別。
建物は建築中は施工者の所有だ。これが、
引渡し日を境にして施主へと移る。
保険や電気や燃料はもちろん、象徴的なのは
鍵の受け渡し。鍵を預かるものが建築を
任される事になる。


私としても、これまで通っていた現場が初めて
施主の下に移り、今後は人様のものである事を
実感する瞬間でもある。平たく言えば、子を
送り出す心境と言えば分かり易いだろうか。


ではあるものの、設計はお寺、建築工事は
おおよそ終わっているものの、仏具工事は
これからが本番となっている。伴う建築の
工事も付随し、それは3月まで続く上に、
外構工事はGW明けを予定していて、
まだ監理は続く。


写真は、その日のもの。
中央奥は納骨堂、右手は本堂、左手は対面所。


仏具のない建築はまだ未完でもあり、撮影は
出来ない部分も多い。竣工写真は施工者に
任せているものの、やはり自分でも撮るつもり。
終日の定例は通例ではない。一般には2時間
程度だろう。設計の間は訪ねる必ずお寺の
庫裏にて坊守にお茶を頂いていたのに、工事が
始まってからは挨拶にも寄れない程であった。
建築現場も記録的に撮影はしていたものの、
感じる様に眺める余裕はまったく無かった。


それが初めて、自由に眺めても良い時間を得、
それが新鮮でもあった。建築の管理が移った
証でもある。完成にはまだ間があるとしても。


引渡しの夜は帯広に宿泊した。
週2で十勝往復は流石に体力が持たない。
これまでは週1で通っていた。泊ると二日を
使ってしまうので、仕事の時間が割かれる。
深夜になっても帰って備える方を選択した。


カメラ装備もあり、時間にルーズにでもあり、
引渡しの日は車で。正確に言えば、引渡しも
形式的でもあり設計者の立会いは必須ではない。
前述の様に考え出発したものの、前夜から続く
空模様は、札幌脱出に時間を要した上に、
高速は道東道に入ってから白くなっていた。
前走車の巻き上げる雪が白く視野を奪う。
この先が思いやられるなーと思っていたら、
早々に追分インターで通行止め、下ろされて
しまった。この後、4台の追突事故もあり、
千歳東から東側が通行止めになったらしい。
追分・・・ここで降りたり乗った事はない。
知らない道に出ると、雪と風で前が見えない。
道も見えない。前の車が新雪を踏めば白く
視界が失われる。絶望的なホワイトアウト
ではないものの恐怖を覚えるには十分だった。


現場代理人に電話する・・・出ない。
クライアントに電話する・・・出ない。


遅れると連絡する名目で、十勝方面も吹雪なら
ここで帰ろうと思っていた、正直。
連絡が出来ず、取りあえず夕張まで行こう、
とりあえず占冠へ向かおうと車を進める。
気付けば引き返すのも躊躇われる距離を走る。


通行止め区間は追分から占冠まで。下道では
2時間を要した・・・夏なら目的地に着く時間。
この数年は帯広通いが続いている。
冬場の高速道路の占冠からトマム区間が大嫌いだ。
山間で高架の多い道は北向きも多く、しかも、
風通しが抜群に良く、道路は芸術的に磨き上げ
られたアイスバーンだ。ハンドルを切らないのに
フロントからスーと車が斜線変更をしたがる、
という事をしばしば経験する道、占冠からは
高速に乗れるものの、悩み日勝峠超えを選ぶ。
一般道でなら怖ければ止まれるだろうしと。
通過後の千歳東から東であった事故は、
高速道路で止めた車に追突があったらしい。
滑ってもホワイトアウトでも止まれない怖さ。
・・・ではあるものの、日勝峠の選択も正解
ではなかった。流石は北海道の屋根?峠だった。
遠慮なく登り続けるし、下り続けるし、
実は実に整った道なのだけれど、吹雪の日は
その道も狭くなっていて、当然の様に凍り、
時間まで着かなければという具合ではなく、
その意味では焦りはなかったものの、しかし、
怖かった。久しぶりの悪路。坂道を登り

切れずに立ち往生するトラックを何台もみた。


ところが、峠を下り切り十勝清水のインターに
到着する頃には晴天が広がっていた。湿った空、
雪をこの峠、山の西側で落として乾燥と寒気
だけを十勝へ運ぶらしい。瞬時に変わる空模様、
本当にびっくりした。それまでの悪路、掛けた
時間が嘘の様な快晴を前にして声を失う。
私の労を十勝で平穏に過ごす人には伝わらない
のではないだろうか。都合5時間の距離。
夏なら半分の時間なのに!


その夜、私の我侭で急遽、お酒の席を設けて
頂いた。クライアント、現場代理人と、
電気、設備のサブコンの代理人との席だった。
無事にこの日を迎えられた事にお礼を告げたく。
昨年5月に始まる既存建築の取り壊し工事、
7月に本格化した建築工事、半年以上の時間の
定例では毎回終日を共にし、様々な解答を提案
してくれた上に、良い仕事をしてくれた
電気、設備はもちろん、親しい友達の如く、
メールと電話で密に連絡を交わした現場代理人
まだある残工事、GWまでは関わるものの、
一応の完了の日に、お礼を伝えておきたかった。


疲れてはいたのだろう。あの運転時間は余計で
あった。が、何より「安堵」があったのだろう。
設計は監理を終えると大役を失う。けれど、
施工者はメンテナンスやアフターを今後も末永く
行い、施主とは関係が持続されて行く。
バトンタッチという思いがある。


定例で現場に乗り込む時は何時も、今日はどんな
難題が降りかかるのかと待ち受ける身でもあり、
基本的にテンションが高い。必然、声も出る。
けれど、この夜の席では、全く声が出なかった。
自分自身が驚く程に、テンションが低かった。
それはもう、びっくりして笑えてしまうほどに。


この人達を前にして、これほど無防備にも
緊張を失った自分を曝すとは。

 

竣工写真の撮影をあと数回、予定をしている。
仏具が納まり、阿弥陀様という主役が納まって
初めてその姿を現す。外構が出来て初めて、
建築は完成する。本当は使われ始めて初めて、
当初に描いた姿を確かめる事が出来る。
4年近く前に初めて訪ねて以来、本格化した
設計でも2年を超える月日を過ごしたものの、
建築は、これから本当の時を刻む。

 

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告白すれば、内装は実際、チープだ。
高価なものは使えなかったし、高価な設えを
集中させる余裕もなかった。設計は実現への
取組みが最優先でもあった。
その中でのお寺の設計、御本尊がどうあるべきか、
悩み続けた。相応しい様は何か?
光を背にする事と決めた。本来は明瞭に区分され、
浄土の世界を垣間見せる内陣を、金色ではなく、
光で表現するよう試みた。
昼間は自然光で、夜は照明に頼る。
未だ、御本尊の居ない、主役の無い舞台かな。
中途の写真を載せるのは愚なのだけれど、
私自身も楽しみにしている。