光明寺設計物語【2017.03.25】永代法要

未だ雪にの残る頃、お彼岸の後のお寺の行事。
お彼岸は庫裡に主に居て、お寺の所作を眺めた。
永代法要は初めてみる大きな行事、楽しみだった。

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幾つものプログラムが用意され御門徒様方が来る。
会場の設置は慣れスムーズに適宜作られて行く。

何人くらいが来られるのか?プログラムは何か?
どう使われるのかを観察させて頂く。

先日のお彼岸で見かけられただろう私は、
この機会にウロウロしていて、誰だ?という具合に
今後次第に顔を覚えて頂く初めての機会でもあった。
行動は実に怪しいけれど、怪しい人ではないよ。
いや、寧ろ最も怪しいけれど、危険ではないよ。

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お寺を建立した際のお布施?を記された木板、本堂には
様々が貼られていて、どれを次のお寺にも要するのか、
これを似合う様に配するのは難しいなーとは思いつつ。

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日中は陽の差す本堂、畳とその縁に陰を落とす。
まだ肌寒い季節なのに室内は朗らかに暖かく、
正直、午後は眠気に誘われ戦ったいたかもしれない。

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厨房の薪ストーブには火が入る。
これは実に暖かい。
ただ、新しい建築の室内で火を着けるのは危険。
気密性は全く異なる。隙間風が多量にある事が
前提のもの、今のストーブはFF式が必然だ。
今は間違えば煙突から煙が抜けず、不圧で室内に
煙が吹き込む事もある。間違えると大変だ。
にしても、直接の火はやはり暖かい。
厨房ではこの火も利用して調理をされていた。

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この機会も遠慮せずに様々を眺めた。
このお寺で過ごす最後の機会にも関わらず、
私のような「誰?」がウロウロした事により、
静かに迎える事が出来なかったとすれば、
それは大変に申し訳ない。けれど欠く事は
出来ない。最後故に最大限に果たした。
幸い、好意的に様々なお話を聞く事が
出来て私には有意義に時間になった。

実用上、何が必要で、それが何処に在り、
という具合もスケッチに記しつつ。

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法要は内陣の住職、外陣先頭に若住職、その左右に
子供達、それがなかなか壮観でもあり、感激をした。
邪魔する事は覚悟して思い切って寄り写真を撮る。
その一枚を。4人もの人がお経を唱えるならそれは、
やはり聞き入ってしまう。流石はと実感させられた。



帰り際の事なのだけれど、音更は川が多い。
坊守から、子等が川でザリガニを取ったと聞き、
ザリガニには特別な思い入れのある私は、
こっそり帰ると言って近所の川を探そうと決めて、
でもそれが見つかり、子等と川を眺めて過ごした。

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遊び場なんだなー
雪解け時期の川、水量が増せば危険は伴うものの、
探検、冒険には最適な場所には違いなく、
自分も子供の頃は良く近づいた。経験しなければ、
どこまでが安全か危険かを区別出来ない。
全て危険として禁止するのは絶対の安全側になる。
けれど、禁止で失われる楽しさもある。
分別は得るべき必要な事だろう。
ザリガニの事があったので、結局見つけられなっかた
けれども、淀みの静かな場所を選んで、眺めて過ごす。
音更の多い川筋は雪解け時期でも選べば静かな川も
多いのかな。次の機会には大きな流れの場所もあった。

子供の頃にここに住んでいたら?選んであちこちを
探検して遊んだに違いない。そういう楽しさ面白さ、
場所をどう利用するかの術が子供が最も知っている
のかもしれないなーと感じた。

適当な距離をとって、けれど付き合ってくれた。
ありがとう。場所を知る手掛かりの一つでした。