未だ雪にの残る頃、お彼岸の後のお寺の行事。
お彼岸は庫裡に主に居て、お寺の所作を眺めた。
永代法要は初めてみる大きな行事、楽しみだった。
幾つものプログラムが用意され御門徒様方が来る。
会場の設置は慣れスムーズに適宜作られて行く。
何人くらいが来られるのか?プログラムは何か?
どう使われるのかを観察させて頂く。
先日のお彼岸で見かけられただろう私は、
この機会にウロウロしていて、誰だ?という具合に
今後次第に顔を覚えて頂く初めての機会でもあった。
行動は実に怪しいけれど、怪しい人ではないよ。
いや、寧ろ最も怪しいけれど、危険ではないよ。
お寺を建立した際のお布施?を記された木板、本堂には
様々が貼られていて、どれを次のお寺にも要するのか、
これを似合う様に配するのは難しいなーとは思いつつ。
日中は陽の差す本堂、畳とその縁に陰を落とす。
まだ肌寒い季節なのに室内は朗らかに暖かく、
正直、午後は眠気に誘われ戦ったいたかもしれない。
厨房の薪ストーブには火が入る。
これは実に暖かい。
ただ、新しい建築の室内で火を着けるのは危険。
気密性は全く異なる。隙間風が多量にある事が
前提のもの、今のストーブはFF式が必然だ。
今は間違えば煙突から煙が抜けず、不圧で室内に
煙が吹き込む事もある。間違えると大変だ。
にしても、直接の火はやはり暖かい。
厨房ではこの火も利用して調理をされていた。
この機会も遠慮せずに様々を眺めた。
このお寺で過ごす最後の機会にも関わらず、
私のような「誰?」がウロウロした事により、
静かに迎える事が出来なかったとすれば、
それは大変に申し訳ない。けれど欠く事は
出来ない。最後故に最大限に果たした。
幸い、好意的に様々なお話を聞く事が
出来て私には有意義に時間になった。
実用上、何が必要で、それが何処に在り、
という具合もスケッチに記しつつ。
法要は内陣の住職、外陣先頭に若住職、その左右に
子供達、それがなかなか壮観でもあり、感激をした。
邪魔する事は覚悟して思い切って寄り写真を撮る。
その一枚を。4人もの人がお経を唱えるならそれは、
やはり聞き入ってしまう。流石はと実感させられた。
帰り際の事なのだけれど、音更は川が多い。
若坊守から、子等が川でザリガニを取ったと聞き、
ザリガニには特別な思い入れのある私は、
こっそり帰ると言って近所の川を探そうと決めて、
でもそれが見つかり、子等と川を眺めて過ごした。
遊び場なんだなー
雪解け時期の川、水量が増せば危険は伴うものの、
探検、冒険には最適な場所には違いなく、
自分も子供の頃は良く近づいた。経験しなければ、
どこまでが安全か危険かを区別出来ない。
全て危険として禁止するのは絶対の安全側になる。
けれど、禁止で失われる楽しさもある。
分別は得るべき必要な事だろう。
ザリガニの事があったので、結局見つけられなっかた
けれども、淀みの静かな場所を選んで、眺めて過ごす。
音更の多い川筋は雪解け時期でも選べば静かな川も
多いのかな。次の機会には大きな流れの場所もあった。
子供の頃にここに住んでいたら?選んであちこちを
探検して遊んだに違いない。そういう楽しさ面白さ、
場所をどう利用するかの術が子供が最も知っている
のかもしれないなーと感じた。
適当な距離をとって、けれど付き合ってくれた。
ありがとう。場所を知る手掛かりの一つでした。