光明寺設計物語【2017.04.補足】本堂の取り扱い。

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現地調査と航空写真や住宅地図などから隣地状況を図面に落とす。
国道、町道ともに図面を得ていたので、かなりな正確な「現況図」。
既存建築はスケッチを元に図面化している。今後の設計の際に、
既存に対して、という比較の上でも把握しておきたい。

既存建築には不足の施設、不都合は多く、増築を重ねた結果、
維持困難な状況にある。一つ大きな問いとして、本堂を残すか、
新規とするか?これは大変に頭を悩ませた。
幾人か門徒様に総代の方々含め聞き取りをすれば、思い入れも
あれば新しいものをと声もあり、この問いには悩まされていた。

残せるかどうかは検証をしておく必要があり、調査をした。
一般には、建築は建築基準法に適合し確認される。
しかし、戦後まもなくに建築されたこの建物は、確認申請等の
法制定や運用開始時期と重なるらしく、未申請状態である事が
わかった。つまり、確認申請された形跡を見つけられないし、
役場にも概要書を含め申請等の記録が残ってはいない。

縦割りの行政は都合が良く、現にある建築は登記が出来るし、
消防は建物毎に指導する事が出来る。このままでも使い
続ける事は出来るものの、既存を残して建築をするには、
その既存を法的に存在を証明する必要があった。

協議相手は振興局であった。建築時に遡り、その当時の
建築基準法に適合するかを申請し、合致すれば建築の存在を
法的に示す事が出来る、という理解に至った。

遡って申請をする・・・かなり稀な不思議な状況だった。
けれど、無い話ではなく、同じ頃に設計仲間も似た状況の
建築の改築に際し苦労されていてた。

建築士試験では現行の法規に対し問われるものの、その
歴史を学ぶことはない。既存の取り扱いには当然様々な
ケースがあり、現行法規に照らせば不適合という自体は
有り得る。その取り扱いに選択肢は少なくない。

①振興局との協議の上、既存本堂を残し、新設部分とは
 渡り廊下で結び、別棟として扱う。
②現行法に適合する改修を行う。
③取り壊し、新築とする。

この3つのケースが想定された。①の協議、審査は相当な
設計労力が予想された。なにせ、立面図はあったものの、
平面図は単線のスケッチしかなく、本堂そのものも増築が
なされてもいて、建設又は増築時期を特定し兼ねていた。
残す場合は別棟とし渡り廊下で結ぶ。プランは制約が
多くなり、配置を考えると曳屋する必要も考えられた。
本堂を残す事で建設費を抑えられる可能性はあるものの、
そもそも、この本堂が何時まで無事なのか計れない現実も
あった。当時の基礎など適切な配筋があるのか知れない。

②地盤の良さ、使われている木材の良さは確かな様子。
今も健全にある本堂ではあるものの、現行の、特に構造を
考えると耐震、耐風を担う耐力壁に相当するものが無い。
基礎を信用するかどうかも問題であり、全て適合させる
改修には新築並みか超える予算を覚悟する必要があった。

今回の事業をもって、この先を担うお寺の建築を考える、
となれば、③はやはり有効な判断になると思われた。


総代の方の中には、子供の頃に基礎工事を手伝った方も
あって、お話をお聞きするのは楽しかった。思い入れは
間違いなくある。③の選択は実に悩ましい。


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既存建築の竣工時、落慶法要の際の写真が残っていた。
盛大な法要だった事が伺える。それに、今とは全く違う
敷地周辺の風景が面白い。

守るべきは建築そのものなのか、その心意気、意思か。
取り壊しを迎える時は私自身も感極まるだろう事は
予測出来、苦に感じるに違いない。けれど、ここは
意思を引き継ぎ次を目指すと心を決めた。

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本堂正面、今は黒ずみ経年の変化、年季を帯びる。
その梁に彫られた彫刻は携わった大工の技らしい。
正規の伝統的なというのではなく、思い思いの様子。

自分の示した方針、お寺の下した判断、その正否は
今後、試され確かめられる事になるのだろうと思う。
昔は・・・と言われない様に覚悟を決めても尚、
こういう手の跡を眺めると感じ入ってしまう。

・・・今はもう無い。

建築の設計には罪深い側面のある事を改めて思い知る。
店舗やインテリアなら短命を前提に取り組む事はある。
けれど、建築を短命に考える事はない。
自分の携わった建築が、自分より先に無くなる自体は
絶対に求めない。耐え得るだけ十分な計画をと思う。

いつか告白しようと思っていた事、書けばやはり、
少々感傷的になってしまう。